やれやれそうだ・・・・・
チョイと出ました御愛想に、何か一言申すなら、関西鉄道で文を書く、乗り換えしたのが亀山で、下之庄で見初めたあなたをば、一身田にと想たれど、なのにあなたは津として、なんぼ私が阿漕でも、そんなに高茶屋振らんすな、六軒でもない私をば、いろよい返事は松阪の、徳和で思案をしたうえで、相可と返事があったなら、嬉して嬉して田丸駅、あなたのお顔が宮川の、筋向橋をば右に見て(過ぎたれば)、ついたところが山田駅、外宮、内宮参詣して、泊まる宿屋は大安か、積もる話は床の中
述べてつないで・・・・
やーとこせー(伊勢音頭)でもよく唄われる文句である。ちょっと説明が必要。
【関西鉄道】 1907(明40)に同系会社、参宮鉄道(1897・明30 全線開業)とともに国有化されるまで関西私鉄の雄であった
【津として】 ツーンとして
【高茶屋振らんすな】 高飛車振るな、(振り飛車にかけてある)
高慢ちきな態度の意
【六軒でもない】 ろくでもない
【徳和で思案を】 とくと思案を
【相可】 相可(明26~大12)―相可口(大12~昭34)―多気(昭34~)と変わってきた。現在の相可駅開業のため。 会おうか、の意
【筋向橋】400メートル離れている参宮街道の重要合流点である筋向橋の名を残そうと名づけられたが、通過列車が多く、地元の要望により、1917(大6)山田上口に改称
【大安】 昭和40年代まであった、古市を代表する旅館の1つ 【井村かね(大安の女将)『わが生涯の記 伊勢古市こぼれ話』】
これらの資料から、この文句の作られた年代が推測できるではないか。
もちろん、本節とは無関係。
この唄いは小付けと呼ばれるもので、本節を唄えない音頭師が、これでかわさきを踊らせた。
(ついでに)
南東部地域には、もう一つ「甚句」という踊り、音頭があった。(北西部地域にはなかった。)明和、多気、玉城には今もある。松阪地区ではなくなってしまった。これはかわさきが盛んになり、本節の取れる音頭取りが足らず、この甚句を流用して、味付けを少し変えてかわさきとした音頭ばかりになってしまったことが理由である。いずれ紹介するが、このつかいわけがうまくできる人ばかりでなく、音頭の側が嫌うこととなり、ついに甚句は消えてしまった。