お か げ
一 ぬけまして 今年や 世が良て おかげで参る
神のおかげで手をひかれ 日本国中みなおかげ
二 六十一年 結構な年でぬけたわな まわる銭金 世に下がる
ありゃ 一生に一度じゃありがたや 三条大橋 日ノ岡峠をぬけたわな
みふるしゃくふる奴茶屋
三 やがて大津や いしばみやわせ超えてぬけたわな 瀬田に回れば三里半
良い道草津や梅川村越えて梅ノ木わちゅうさん ここにおじゃれと
皆口々に ナー 降るは土山 曇るは鈴鹿 空に晴れたか坂ノ下
四 ここは福原 椋本をこえてぬけたわな さても尊き津のあみだ
通る雲出に松阪を こえてぬけたわな 照らす明星 暁は 清き宮川
山田に着いて 下宮 内宮 天照 オクリ
カエシ
五 神のおかげで笠を脱いだわな 下宮が四拾に内宮が八拾
めぐりくるくる福の神 恵比寿 大黒 稲荷様
六 音頭ぎやりにみな囃されてういたわな 手振り袖振り古市の
相の山ではお杉やお玉 アリャ あちらの縞さんなかのりさん
赤前垂れの洟垂れさん 浅黄バッチの膝ぬけさん
もうここばかりじゃなげしゃんせ やがて宇治橋 コリャ
どんどとゆうてなげたわな 下に網受け 銭がやま
アリャ 一生に一度じゃありがたや 朝熊山では比丘が唄
はやしたてられかんざしの(く)
七 二見が浦に島並べ あけてみたさの深心 おかげまいりに
ナ~エ ナ~エ おかげ参りにこの子ができて
名をばお伊勢の ナ~エ ナ~エ 名をばお伊勢の伊勢松といんえ
早稲が八石 中生が九石とれたわいな どんと晩生は箕ではかる
よいことばかりへ
これがかわさき音頭、本節といわれるものである。教わらなくては到底ききとることはできない。今でこそ録音機がある。文句さえわかれば唄えるようにはなる。昔のひとは・・・ と思うと自然と頭の下がる思いがする。
この おかげ、寿、くるわい(車道新)、乗り合い(船)の4曲を習ったのであるが、くるわい(車道新)、乗り合い(船)は、本場の河崎音頭と文句が同じであるからして、最初の教師の畳屋さんの伝授したものであったであろうが、あとの二つは、後年になっての、この地域の人の作品と考えられる。
その理由についてはいずれまた。
お断りしなければいけない。初めと途中の部分が欠落している。これは何度もコピーしている間に損じてしまったもの。それと六番のくさりについて少々解説すると
「相の山のお杉やお玉」 「宇治橋下の網受け」 「朝熊山の比丘芸人」 これらがいわゆる、伊勢乞食なんだそうだ。そして最後の、
「朝熊山では比丘が唄 はやしたてられかんざしの」で「比丘が唄」を「おすぎお玉」と唄っているのは、唄い間違い。もう一つ、最後の「かんざしの(く)」とは、かしましい、とか、喧しいの類意語とのこと。
演者によっては(く)と唄う
オクリとカエシについては、こういう約束があるということしかわからない。
「やれやれそうだ・・・・・」については、次回に。