中南勢音頭通信  かわさきの巻 5   田中芳松 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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中南勢地域における音頭・踊りの紹介をベースに
自由以上に思い切った発言を発信していくつもりのブログ



  

 

 

 ぬけまして 今年や 世が良て おかげで参る
 

 

神のおかげで手をひかれ 日本国中みなおかげ

 
 

 
 

 六十一年 結構な年でぬけたわな まわる銭金 世に下がる
 

 

ありゃ 一生に一度じゃありがたや 三条大橋 日ノ岡峠をぬけたわな
 

 

みふるしゃくふる奴茶屋 
 

 

 

 やがて大津や いしばみやわせ超えてぬけたわな 瀬田に回れば三里半 



  良い道草津や梅川村越えて梅ノ木わちゅうさん ここにおじゃれと



  皆口々に ナー 降るは土山 曇るは鈴鹿 空に晴れたか坂ノ下
 

 



 ここは福原 椋本をこえてぬけたわな さても尊き津のあみだ
 

 

通る雲出に松阪を こえてぬけたわな 照らす明星 暁は 清き宮川
 

 

山田に着いて 下宮 内宮 天照    オクリ  
 

 

カエシ
 

 

 神のおかげで笠を脱いだわな 下宮が四拾に内宮が八拾
 

 

めぐりくるくる福の神 恵比寿 大黒 稲荷様
 

 



 音頭ぎやりにみな囃されてういたわな 手振り袖振り古市の 



 相の山ではお杉やお玉 アリャ あちらの縞さんなかのりさん



 赤前垂れの洟垂れさん 浅黄バッチの膝ぬけさん
 

 

もうここばかりじゃなげしゃんせ やがて宇治橋 コリャ



 どんどとゆうてなげたわな 下に網受け 銭がやま 



アリャ 一生に一度じゃありがたや 朝熊山では比丘が唄 



はやしたてられかんざしの(く)



 二見が浦に島並べ あけてみたさの深心 おかげまいりに


 ナ~エ ナ~エ おかげ参りにこの子ができて 


 名をばお伊勢の ナ~エ ナ~エ 名をばお伊勢の伊勢松といんえ 

早稲が八石 中生が九石とれたわいな どんと晩生は箕ではかる

よいことばかりへ

 

 

 

これがかわさき音頭、本節といわれるものである。教わらなくては到底ききとることはできない。今でこそ録音機がある。文句さえわかれば唄えるようにはなる。昔のひとは・・・  と思うと自然と頭の下がる思いがする。

この おかげ、寿、くるわい(車道新)、乗り合い(船)の4曲を習ったのであるが、くるわい(車道新)、乗り合い(船)は、本場の河崎音頭と文句が同じであるからして、最初の教師の畳屋さんの伝授したものであったであろうが、あとの二つは、後年になっての、この地域の人の作品と考えられる。
 
 

その理由についてはいずれまた。
 

 

お断りしなければいけない。初めと途中の部分が欠落している。これは何度もコピーしている間に損じてしまったもの。それと六番のくさりについて少々解説すると
 

 

「相の山のお杉やお玉」 「宇治橋下の網受け」 「朝熊山の比丘芸人」 これらがいわゆる、伊勢乞食なんだそうだ。そして最後の、
 

 

「朝熊山では比丘が唄 はやしたてられかんざしの」で「比丘が唄」を「おすぎお玉」と唄っているのは、唄い間違い。もう一つ、最後の「かんざしの(く)」とは、かしましい、とか、(かまびす)しいの類意語とのこと。
 

 

演者によっては(く)と唄う
 

 

オクリカエシについては、こういう約束があるということしかわからない。
 

 

「やれやれそうだ・・・・・」については、次回に。