前に述べたように、私はかわさきを好んだ。間を踊る、という感触を心地よく感じたのかも知れない。
すでに踊り初めの頃に、その傾向は出ていた。踊りの夜は、会場に近い友達の家にみんなが集まるのであるが、皆が踊りが好きなわけでなく、そこでだべって時間を過ごすのであるが、かわさきが始まると出掛けて行ったものである。十二時か、早くとも十一時にならないと始まらなかった。
そして踊り手にとって最も重要なこと、それはやはり音頭師と太鼓たたきの力量である。特にかわさきにおいては,この間取りが厳しく決まらなくては、気持ちよくは踊れないのである。かわさきになると、必ず太鼓を手に取った。そして音頭は。北出三郎(西黒部町 1923~1996)。通称サブさん。道風国造氏のあとの西黒部の統領を務めた。美声といえる声ではなかった。むしろ悪声。きれいな節回しでもなかった。かくべつあかぬけた文句でもなかった。しかし、圧倒的な声量で、踊り手をぐいぐいひっぱり、あおっていく力量は、やはり一級品であり、見事なものであった。この人もまた、この文化の歴史に太文字で名を残す一人である。
しかしながら、わたしの目は、別のひとりに向いていた。田中芳松(1915~2013 旧三雲村・現松阪市)。
声よし、節よし、間取りよし、音頭取りに要求される三拍子がそろっていた。何より、私の心をとらえたのは、かわさき音頭の、本節といわれる謡の神秘的な美しさであった。言葉は全く聞き取れるものではなかった。何を言っているかわからない声の内に、心地よく刻まれるリズムに身をゆだねていく、これこそ、自分にとって目指すべきものであることを理解していた。
前置きははこれくらいにしよう。田中芳松氏の「かわさき音頭。おかげ」を聴いておいていただきたい。
解説は次回に。
(おことわり)
つぎはぎテープなので、お聞き苦しいところがあります。あしからず。 (次、クリック)
ついでに私のも・・・・