明智光秀
薄紫に浮かび出た 比良や比叡や逢坂の
山また山に続く峰 時は天正十年の
降りみ降らずみ五月雨の 中の五日は辰の刻
琵琶の岸辺に風薫る 惟当 明智光秀の
館におなりの信長公 感謝に咽ぶ光秀が
心をこめたお庭には 青葉隠れのホウセンカ
聞いて嬉や布袋草 あたり取り巻く若竹に
降るや銀糸の声静か
衣服を改め光秀が 信長公に目通りの
上から見下ろす信長公 これ光秀よ都合により
汝に与えし丹波と近江この二カ国は召し上げる
代わりに出雲石見の二カ国を汝に与えつかわすぞ
これより参り毛利吉川小早川征伐いたせ
すぐに出陣いたせいよとの無理難題の
二件を告げ 信長公は立ち去った
聞く光秀は愕然と 何たる今のおことばぞ
このおしうちは何事ぞ お仕え申して二十年
いく何十度の戦いも 織田家に勝利もたらして
心のそこから尽くしてきた われの心が解らぬか
今の天下は乱世の 麻の如くに乱れあり
味方といえど油断はならず
のらりくらりの秀吉あり 狸親父の家康あり
いざ鎌倉というときは 殿の馬前にご守護の役は
身不肖ながらわれひとり きみたらずんば
臣臣たりの 漢書の教えそのままに
ぐっとこらえた光秀の 苦しむ心いかばかり
死してその名をうたわれし 秦の予譲の苦しみも
斯(かく)はありしか光秀の 死ぬに死なれず
怒るにも 怒るすべなき胸のうち
思いやるさえ気の毒な 外は寂しい雨の音
あくれば天正十年の 五月半ばは七日の朝
きょうは光秀主従が 毛利吉川小早川
むこうにまわして合戦の 用意をせんと
朝まだき 霧たちこめる安土をあとに
はや石山や三井寺の 鐘の響きに霧も晴れ
瀬田の唐橋大橋小橋 逢坂山の吹き下ろし
袂を払う丹波路の 己が居城の亀山城
安土の悲報が伝わりて 重臣達がお出迎え
織部 亀山 福知山 安田作兵衛 四方田
斉藤利三つわものども 家来数多が取り囲む
中を静かに奥殿へ 力なくなく光秀が
過ぎ越し方や行く末を 思い浮かべて様々と
変わり果てたる今日の身の 明日にも出雲石見路に
出陣いたすよいけれど もし幸いに勝てばよい
武運つたなく負けてみよ 所領もなけりゃ家もない
一族郎党は坂本の 風に木の葉の散るごとく
この残忍は上様の お心からなるお仕打ちか
いやいやいいやさにあらず
みな光秀のいたらぬからか
悩む光秀胸のうち
斉藤まえに進み出て 殿 申し上げまする
すでに用意は整いました なんの?
戦国の世ではございます 滅びる前に
こちらから 打って出るのでございます 誰を?
主君織田信長を 殿!お覚悟めさりませ
言うて呉れたぞ利三よ 嬉しく思うぞ皆のもの
世の人々はなんという 反逆者よ光秀と
笑わば笑えそしらばそしれ 人として
耐えうるかぎりは忍んできた
所詮はこうなる運命も 息するもののならわしじゃ
それを今までしらなんだ この光秀は大馬鹿者じゃ
ものども出陣いたせいよ 用意万端ぬかりなく
時は今 天が下しる 皐月かな
しかも六月一日の 暮れの七つに一万余騎
躍る青葉のさや風に 桔梗の旗をなびかせつ
人馬粛々もろともに 白檀磨きのこてすねあて
黒川おどしや緋縅の 鎧兜に身を固め
向かうところは大江山 山を巡れば駒の足
いつしか迷う老の坂 濁れる水の桂川
本能寺 溝の深さは幾尺あるや
吾 大事を成すは今夕にあり
こだま返しを身にうけて
めざすは京師 本能寺 めざすは京師 本能寺
鳴かぬなら 鳴かぬわけあり ほととぎす
この時、御年二六 日野にいました氏郷は 光秀謀反の報を受け
信長妻子をかくまわねばと 安土の城にと駆けつける
保護をいたしたうえからは 取って返した日野の城
迎え撃たんが光秀と 新たな主人を秀吉として
十二万国松ヶ島城主 ここを拠点に松阪城
築きあげるはみなさんよ 六年後のことですが
そこらあたりのあれこれは ・・・・・・
明日の氏郷祭 このネタで行こうと思う。ただし10分以内で。
よかったらのぞきに来てちょうだい。