現在の「しょんがい音頭」は浪花節のアレンジだとの説明はした。これから、しばらくは「かわさき音頭」について述べる。
今、手元に「伊勢古市考」という書がある。これによれば、河崎音頭とは、享保(1716~1736)の頃、奥山桃雲という人により作られ始めた、とあるから、ちょうど、300年前である。古市の妓楼のショ-タイムに歌われ踊られ、これが参宮客に喜ばれ、各地へと広まったのであるが、松阪地方へはいつごろやってきたのか。
それはともかく、文政10年【1829年】ごろに書かれた服部中庸著の「松阪風俗記」に、こんな記述がある。要約すると、
「河崎音頭という踊りがある。三味線、太鼓など囃し方もあり、風流で、面白い。ところが20年ほど前から、雨竜森に田夫等集まりて、やたら騒がしい踊りをするようになった。しょんが踊りという。この踊りが始まると、河崎音頭はだいなしになり、みなやめてしまう。(しょんがいは)無粋な踊りである。」 こんな内容である。
これは私の解釈ではこうなる。この著者はクラシックの愛好家であった。そこに現れたロックだのツイストだのの若者文化を受け入れられず、戸惑うばかりの大人たちの姿である、と。ほかの解釈もあろうかと思うが、それよりもっと重要なことは、「三味線、太鼓など囃し方もあり、」の一文である。
これは、つまり古市で演られていた河崎音頭と同じスタイルのものであることを意味する。我々が演っているものとは違うのである。では今我々の演っている河崎音頭とは何なのか。歌詞は同じである。