中南勢音頭通信  かわさきの巻   1 | 私が言っては遺憾会(中南勢音頭通信)

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さて中学の時にはまった踊りであるが、実は、自分にはある特徴があった。踊りにはしょんがいとかわさきの二つの踊りがあったが、私はかわさきのほうを、より好んだのである。一般的にはしょんがいが圧倒的に人気があった。この二つの踊りの違いを、自分なりに分析してみると、こうなる。しょんがいは能動的で、ポイントを押さえていく性格のものであり、一方、かわさきは受動的で、ポイントからポイントの間を埋めていくそれであるといったらよいかと思われる。アクセントが前にあるか、後ろにあるかの違い、と言ってもいいかとも思う(つまり、ダウンビートとアフタービートの違い)。ともかくも、かわさきに、より強い愛着をもっていた、で、高校卒業後、当然のように地元青年団から勧誘を受け入団、顔見知りばかりであるから、地域になじんでいくのになんら苦労することはなかった。もちろん踊りはお手の物ではあったが、その踊りに、少しづつ気持に変化が現れて来ていた。変化とは。踊るだけでは物足りなくなってきたのである。そう、踊らせてみたくなってきたのである。そんな気持ちが、それまで興味のなかった音頭のほうへと耳を向かわせていった。もちろんこの時点では、音頭についての何の知識も持ってはいなかったが。いや違うかも。そうか、あれだ。「三重の唄」の山川さんだ。あれを覚えたのだ。これを踊りの練習の時に演ったのだ。これが好評だったことが音頭の道に入っていく大いなる契機となったのかもしれない。たぶん。

 

このころはまだ、踊りの情報をそれほど多く持っていたわけではなかった。ほとんどの会場は同じ顔ぶれの音頭たちであった。ネタもいつも一緒。それでも徐々に聞く耳はできていった。そして一つの結論に達する。それはこうだ。

 

「しょんがい音頭はいまの音頭が絶滅しても、復活は可能である。しかし、かわさき音頭にそれは望めない。」  

 

偏愛するかわさきである。自分のやることは決まった。かわさき音頭をやろう。