霧はすっかり晴れていた(と思われた)。二年目に入り浜仕事にも慣れ、生産もまあまあ順調な年でもあった。飲み行軍もいよいよ順調で、次第に回数もその量も、そして参加メンバーも増えていった。ここの四~五年間は本当に楽しい、そう、いわゆる、これこそが、私の青春時代であった。
そしてこの時期、特筆すべきことがあった。The Beatles との出会いである。音楽情報は、常に豊富であった。サージャント・ペパーズ、ホワイト・アルバム、アビー・ロード、レット・イット・ビーなんかのアルバムは持ってはいた。しかし本当の意味では聴けてはいなかった。彼らの解散のニュースが流れたと思ったら、ジョン・レノンがアルバムを発表したという。ラジオはいつもかっけぱなしであったからただちに耳に飛び込んできた。
マザー、ゴッド。なんだこれは。そんなばかな。そんなはずはないではないか。女王陛下の勲章を受けていた。莫大な外貨をイギリスにもたらした功績により。人としての成功と栄誉と富は手中にあったはずである。自分なんかと比較の対象であるわけがない。それがなんや。どこが違うンや 俺と!! 自分の中で、何かがはじけた。 聴かなくては。
これから十八か月、一年半というもの、ビートルズ漬けとなった。カーステレオは8トラのカートリッジ、録音機を借りて吹き込んだ。同調してくれたいとこが隙間を埋める形でレコードを買いそろえてくれた。寝ている間も頭の中で彼らは歌っていた。一日24時間、彼らに包まれていた。なんという美しさ。それまで見えなかったもの、聞こえなかったものが姿を現していた。ザ・ビートルズとは、「自分の一生で、出会った最も美しいもの」という位置づけは今も変わらない。
つらいこともあった。自分にとって、救いの神となってくれた、きんちゃんこと、米倉金蔵君が鬱に沈んだことである。糖尿病とともに彼の一生に厄介な同伴者として付きまとうこととなる。
一見、快調な青春時代ではあった。しかし火種は残っていた。そもそも、「ジョンの魂」に激しく反応したことこそ、あの呪縛から解放されていない証しであったろう。 しかしながら、
重苦しい話はもうやめよう。概略だけを記す。24歳の時、もう一度、奈落をさまようことになった。今度は誰の救いも、逃げ込むところも、何もなかった。酒すら見方をしてくれなかった。自分の力だけで這い出す道しか許されてはいなかった。
一年九か月間の格闘の後、どうやら脱出に成功、本当の意味で解放されることとなったのは25歳の最後季のことであった。28歳の時に人並みに結婚し(よく出来たものだ。本当に)、30歳、31歳と二人の男の子を授かって、1981年に33歳を迎えるのである。
以上のことを報告して、本来のブログの趣旨に戻ることにする。
ちょっと一服