すでに話は高校時代に入っているが、巻き戻す。さて「進路」についての冥想の迷走がはじまったものの、当然のことながら、何ら進展があるものではなく、それどころか、ただひたすらに混迷の度を深めていくばかりの状態の中で描いた「進路」は、進学校。理由は、三年間の猶予がある、であった。この決定を後に大いに後悔するのであるが。
進学したものの、心得、生活態度が変わるわけもなく、相変わらずの、それこそ何ァーンにも変わらない三年間を送ることになるのであるが、心中は、しかし、もはや引き返すこともできないほど深い霧の中にあった。いくしかなかった。
高校時代に最も好きでよく聞いた人はフランク・シナトラであったが、少しずつジャズ色も現れてきていた。3年になって、心が激しく共鳴した人がいる。ジョン・コルトレーン。彼の死の報告と、最後には前衛に転身していたその演奏を聴いたとき、戦慄が走ったのは、この頃の自分の心情が強く影響したことは明らかである。
濃く、深い、霧の中をさまよう心に、必ずしも、心地よく響かない音楽に包まれながら、教科書の活字を、ただ、なぞっていくだけの視線、すでに大学進学も就職もなかった。本当に、なあんーにも見えない自分に、どーしろというのだ。、で どうした。2ha弱の田畑とノリ養殖を営む生家である。父親は大工でもあった。ここに居座るしかなかった。で、家業にまい進し、立派に一人前になり、めでたし、めでたしであれば、わざわざここに書き表すことなぞ 何アーンにもない。そうはいかなかったから、今、パソコン相手に苦しんでいるのである。そう、相変わらずのうわのそら状態に変わりはなかった。そして、心は果てしなくどん底に向かっての落下をやめようとはしていなかった。なによりもつらかったことは、ひとはみな、それぞれの「進路」をみきわめ、自分ひとりだけが取り残されたという 激しい強迫観念の故である。
卒業しての一年は本当につらく、苦しい一年間であった。子供の時から家業の手伝いはよくしていたほうなので、田んぼの仕事はこなせたが、浜仕事はやはり要領を得なかった。不作年でもあり、殆んど生産できなかった。近隣の人に誘われ、土方仕事もした。 しかし、
この煉獄からわが身を救い出してくれる人が現れた。、高校時代の同級生 米倉金蔵(1947~2010)。一年の社会生活を経験したのち、舞い戻ってきていた。もともと仲は良かった。一年ぶりの再会を喜んだ。彼は酒を飲むことを知る人になっていた。そして私は自分が酒が飲める人であることを知っていた。二人の酒飲み行脚が始まった。孤独からは解放されたのである。危機は脱した。