ひょんなところで聞いた英語の唄。ローハイド。美しい.一発ではまった。レコード、レコード・プレーヤー,そしてラジオの音楽放送の存在を知る。今週のベスト10とか、高﨑一郎とかいったかな、の、番組とかで知識・情報量を増大させ、特に好きな歌はレコードを買い、していたがこれはもたない、英語の勉強に必要と称してテープ・レコーダーを手に入れ、手当たり次第に録音した。これが大きかった。はやり(やはりではない)歌のほとんどはすぐに飽きる。一度飽きてしまうとどうしようもなく嫌なものになってしまう。好きなものは残したい。嫌いなものは消してしまいたい。人間という生き物にとって、好む物への愛着と、嫌いなものへの拒絶心とではどちらが強いものであるか。テープは一本しかなかったから、嫌いになった曲には新たな曲をかぶせていった。その曲の収録時間が長くて、次にある、残したい曲が消えることがあっても仕方がなかった。嫌いな曲を消すことのほうが優先した。この作業が自身の聴感性をメキメキ進化させていった。ラジオと付き合う時間は次第に長く、そして深夜に、気が付けば、流行歌はすべて姿を消していた。プレスリーだけがアルバムの形で手元にあった。ついでに言っておこう。ビートルズはなかったのである。ロックの王者はプレスリー、この偏見が彼らを受け入れることを拒んでいた。ちなみに彼らのデビューは高1の時。そうそう、忘れてはいけない、やはりこの時代はベンチャーズ、圧倒的な人気であった。レコードまでは買わなかったが、テープにはしっかりと入っていた。
ラジオとは本当に首っ引きであった。名古屋からの放送だけでは物足りなかった。東京の電波も拾っていた。このころのラジオ電波は距離が遠くなると大きく聞こえたり小さくなったりほとんど聞こえなくなることもあった。そんな状態でも質の高い音楽番組を求めた。そんな中で、案内人の名は忘れたが、確か、ララバイ・オブ・東京、から、―・オブ・ミッドナイト、そして、ナイト・スポット、と名を変えた番組があった。シナトラやビリー・ホリデイ、その他、特定したアーティストを毎日2~3曲づつ、その人の歴史、歩みも含めて数か月、人によっては一年近くにわたって紹介していく、そんなコーナーのある番組があった。かようなる番組のおかげで、わが、オープン・リール・テープたちも次第にその仲間を増やしていった。カセットにも、FM放送にも、出会いはまだまだ先である。