常々、思っているし、口にもしている。
今回も思う。旭川の事案である。
「いじめ」として行われたと発表された行為は、おそらく事実だろう。
ここからは推測になるが、かなり割り引いた発表なのだろう。
いい加減、「いじめ」という表現で事実を捻じ曲げることを止めないか。
成人がこれら行為を行えば、
「おごらせた」は、「恐喝罪」であろう。少なくとも強要罪には該当するだろう。
「自慰行為の動画拡散」は、少なくとも「猥褻画像流布」「児童ポルノ」に該当しよう。
そんなものではすまず、「強制猥褻行為」であろう。
未成年であっても、これら行為を
1対1 の関係で行なえば、少年犯罪として立件されるのではないか?
先輩ー後輩 という関係性、多数対個人 という中で行なわれたら
「犯罪」ではなく「いじめ」になるのだろう?
教育委員会・学校 が 管轄すことが既に、おかしいのではないか?
旭川の事例では、当初
いじめた側の立場にたって、「人権がある。将来があるのだから」との
発言があったと聞く。調査に3年。
これらは、何を生むか。被害者側の絶望だけではない。
加害者側の以下の認識を生むことになろう。
「じじめは、どこにでもある。」
「何故、俺たちだけこんなに非難されるのか。」「うちの子だけが、なぜ?」
「ばれなきゃ、いいんだ。」「運が悪かっただけ。」
先ず、犯罪好意に該当するべきことは、正しく認識しなければならない。
その上で、少年犯罪 として法の規定に基づき、
更生若しくは処罰されるのが相当であろう。
法治国家であるためには、法の恣意的運用は許されない。
知識人、人権活動家、マスコミ の今後を注視したい。
私の身近でこのような事案が発生したら、そのような行動をとりたい。