「日本の路地を旅する」の著者 ノンフィクション作家:上原善広による、いわゆる職業遍路という四国遍路の一面を題材としたノンフィクションです。副題に「幻の草遍路と路地巡礼」とあります。
「被差別部落」「同和地区」を「路地」と表記し、著者のライフワークであるようです。本書にはありませんが、私は勝手に中上健次の「路地」を連想しました。
著者の関心は、現在の遍路ではなく、かつての帰るところのない遍路として生きるしかなかった人々にありました。
修行(托鉢、門付け)で、糧を得、宿に泊まることもなく野にある者。「遍路乞食」「へんど」とかつて呼ばれた人々で、著者は、「草遍路」とします。
今様の明るく楽しいお遍路の話ではなく、言わば遍路の「負」の側面を追ったものです。
私自身は、
それぞれの「発心(お遍路に出る訳・因)」があって、
それぞれの「修行(お遍路で体験すること)」があり、
それぞれの「菩提(気づき、願い)」が生じて、
それぞれの「涅槃(お遍路での心持ちの変化・果)」に至る
のだと思っています。
なので本書で書かれている事は、遍路の一面であるとします。万人はお勧めはしません。
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著者は、「路地」と「草遍路」は近しいところにあると想定して、遍路道(旧街道)に沿って存在する「路地」を巡り、「草遍路」を取材しよとしますが、「路地」と「草遍路」は直接的に結びつくものではなかったようです。
著者が巡り合い直接に取材ができた「草遍路」は、「毎日巡礼ヒロユキ」と「ナベさん」の二人。
過去の話として、「幸月」と「ケンちゃん」の事件が取り上げられています。
それぞれの「草遍路」の話は、私には興味深いものでした。(ご興味の方は、具体的なことは読んで下さいねです。)
一方、「路地」及び周辺の幸せとは言えない人々の生活も記載されています。特に関東大震災の折に千葉県で、香川県の「路地」の行商人一行が「朝鮮人」とされ殺害された事件は陰惨です。
著者は明示的には記していませんが、大災害の緊急事態とは言え、余所者を殺害という手段で排除する土地。それは、ホームレスの排除として現在と陸続きであると。
一方、「へんど」という異質なものを好ましくないと思っても、排除まではしない土地の不思議として対照しているように思います。
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出立に、(太字引用)
「しかし遍路に身をやつして路地を訪ねれば、また違った視点で路地が見えてくるのではないかと思った。寺はついでに立ち寄れば良いだけのことで、路地を巡礼するように旅すれば良いのだと思い至った」。
と記して著者は、
結びに
幸月事件の取材先であった、鵜川氏 の言として
「何かあるから座禅に来るんよね。何もなかったら座禅には来ない。遍路も同じ。何もない人はやらない。何か心にあるから回る。そして遍路しても、座禅しても何も変わらないのは同じ。結局、自分が変わるしかないんよね」。
と記し
「では私にとって、遍路とはいったい何だったのか。
(中略)
そして四国遍路という一種、日本古来の厳しくも温かいセフティー・ネットの存在を知ったことは、これから後半生を生きていくうえで、どことなく安心感を得るきっかけにもなったと実感している」。
と結んでいます。
「実感」といものは、体験がないと生じないのでしょう。
それぞれの遍路に、それぞれの遍路体験があり、それぞれの実感があるのでしょう。















































