貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

貧脚さんの四国八十八か所 (銀輪流転)

お気楽遍路行の記録です。1巡目を終えて、どうしようかと思案中。(自転車活動休止中)

 「日本の路地を旅する」の著者 ノンフィクション作家:上原善広による、いわゆる職業遍路という四国遍路の一面を題材としたノンフィクションです。副題に「幻の草遍路と路地巡礼」とあります。

 

 「被差別部落」「同和地区」を「路地」と表記し、著者のライフワークであるようです。本書にはありませんが、私は勝手に中上健次の「路地」を連想しました。

 著者の関心は、現在の遍路ではなく、かつての帰るところのない遍路として生きるしかなかった人々にありました。

 修行(托鉢、門付け)で、糧を得、宿に泊まることもなく野にある者。「遍路乞食」「へんど」とかつて呼ばれた人々で、著者は、「草遍路」とします。

 

 今様の明るく楽しいお遍路の話ではなく、言わば遍路の「負」の側面を追ったものです。

 私自身は、

  それぞれの「発心(お遍路に出る訳・因)」があって、

  それぞれの「修行(お遍路で体験すること)」があり、

  それぞれの「菩提(気づき、願い)」が生じて、

  それぞれの「涅槃(お遍路での心持ちの変化・果)」に至る

のだと思っています。

 

 なので本書で書かれている事は、遍路の一面であるとします。万人はお勧めはしません。  

 

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 著者は、「路地」「草遍路」は近しいところにあると想定して、遍路道(旧街道)に沿って存在する「路地」を巡り、「草遍路」を取材しよとしますが、「路地」「草遍路」は直接的に結びつくものではなかったようです。

 

 著者が巡り合い直接に取材ができた「草遍路」は、「毎日巡礼ヒロユキ」「ナベさん」の二人。

 過去の話として、「幸月」と「ケンちゃん」の事件が取り上げられています。

 それぞれの「草遍路」の話は、私には興味深いものでした。(ご興味の方は、具体的なことは読んで下さいねです。)

 

 一方、「路地」及び周辺の幸せとは言えない人々の生活も記載されています。特に関東大震災の折に千葉県で、香川県の「路地」の行商人一行が「朝鮮人」とされ殺害された事件は陰惨です。

 

 著者は明示的には記していませんが、大災害の緊急事態とは言え、余所者を殺害という手段で排除する土地。それは、ホームレスの排除として現在と陸続きであると。

 一方、「へんど」という異質なものを好ましくないと思っても、排除まではしない土地の不思議として対照しているように思います。

 

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出立に、(太字引用)

 

「しかし遍路に身をやつして路地を訪ねれば、また違った視点で路地が見えてくるのではないかと思った。寺はついでに立ち寄れば良いだけのことで、路地を巡礼するように旅すれば良いのだと思い至った」。

 

と記して著者は、

 

結びに

幸月事件の取材先であった、鵜川氏 の言として

 

「何かあるから座禅に来るんよね。何もなかったら座禅には来ない。遍路も同じ。何もない人はやらない。何か心にあるから回る。そして遍路しても、座禅しても何も変わらないのは同じ。結局、自分が変わるしかないんよね」。

 

と記し

 

「では私にとって、遍路とはいったい何だったのか。

   (中略)

 そして四国遍路という一種、日本古来の厳しくも温かいセフティー・ネットの存在を知ったことは、これから後半生を生きていくうえで、どことなく安心感を得るきっかけにもなったと実感している」。

 

と結んでいます。

 

 「実感」といものは、体験がないと生じないのでしょう。

 それぞれの遍路に、それぞれの遍路体験があり、それぞれの実感があるのでしょう。

 第54番延命寺からの大谷越え遍路道。

 進行方向右手のお地蔵様が目につきますが、その向かいの道路擁壁にあります。

 

 

 

(刻字解読は、お遍路資料より引用)

 

「☜ ☞ / 延命寺・南光坊 / 但馬國        」

 

 

「弐百十九度目為供養/ 周防國大島郡椋野村 

              / 願主 中務茂兵衛義教」

 

「明治四十二年十一月吉辰」

 

 

 第55番南光坊への道は、大谷越(お遍路地図の点線遍路道)の他にも、山路の道:県38号(旧国196号、藩政時代の今治街道)を辿る道があります。

 中務茂兵衛遍路石の確認のため大谷越の遍路道を辿りました。

 

14時41分

 大谷越(今治市の大谷霊園のある丘を越えるルート)は、鐘撞楼の向かって左側の小道を進みます。

 ちなみに、左手の立看板は、眞念遍路石他の説明です。

 

14時43分

 延命寺を出て直ぐに墓地を横切って進みます。

 

14時44分

 墓地の丘を下って行きます。

 この先、遍路道は丘陵地帯を横断していく形で、緩く上ったり下ったり。道も錯綜していますが、案内がありますので大丈夫です。

 

14時44分

 直進したくなる道ですが、案内どおり右に折れます。

 

14時45分

 これだけ大きく明瞭な案内だと安心です。案内標は新しいように思います。道迷いのポイントだったのでしょう。

 

14時45分

 「☞/ 大坂北・ほりへ/ 深切講中」

 大坂の大師講による遍路石だと示されています。

 

14時46分

 変則の四辻。直進で登って行きます。電柱に案内札があります。

 

14時47分

大きな常夜灯。

 

14時48分

 登り切った先を下って行きます。

 お地蔵さんと遍路石があります。

 

14時48分

 お地蔵さんのある角の左手。コンクリート擁壁に中務茂兵衛遍路石があります。

 梅村武氏のお遍路資料(昭和62年6月記)では、「道向かいの山裾に」とあり工事前のことと思われ、位置はほぼ昔のとおりのようです。

 訪問はしていませんが、手すりの道を登ったところに、延命寺の仁王門前の「南無大師遍照金剛」の石碑を建てた 自覚法師の廻国供養碑並びに法師の墓

 

14時50分

 丘を下って、三叉路を左です。

 

14時51分

 遍路石があります。

 案内札(画像切れてます)もあります。

 

14時52分

 四辻を直進です。案内札があります。

 

14時53分

 ツツジが満開でした。(4月28日)

 

14時54分

 高架の高速道路下を直進です。

 

14時55分

 浮彫 ☜ の遍路石。

 

14時55分

 直進です。

 左は、墓地の案内札です。(日本語が判る人には、間違いようがありませんが、、)

 

14時56分

 道路工事でまとめて移されたのでしょう。

 ここから、少し登って、下ります。

 

14時56分 

 下って、また、次の丘に登って行きます。

 

15時00分

 右手に小川を見て登って、溜池を二つ過ぎると、公園のような場所にでます。階段を登って行きます。

 

15時00分

 階段の手すりには、古いお遍路札があります。

 

15時00分

 墓地の駐車場に出ます。

 

15時02分

 

15時02分

 

15時03分

 今治市の市営墓地です。直進して丘を下ります。

 

15時09分

 お遍路地図の指示は、ここで左折(赤色矢印)ですが、今回は直進(黄色矢印)します。

 

15時11分

 橋を渡って県38号に突き当たって左です。

 

15時13分

 お地蔵様と遍路石があります。橋は「茶道橋」です。

 

15時13分

「延命寺江 二十八丁」

 お遍路資料より

 この場所は茶堂という地名が残っていて、明治のはじめ頃までは実際に茶堂があったそうです。

 茶堂にまつわる話を別記事にします。

 

15時13分

 「☞ 扁ん路道 別宮江 八丁」

 

15時15分

 お遍地図の遍路道は、姫坂神社のところで橋を渡る指示です。

 

15時16分

 藤棚が満開でした。

 

15時16分

 この先で、四車線の国196号に出た左折。

 

15時19分

 奥に見えるJR予讃線の高架を潜って直進です。

 

15時26分

 鉄道高架を潜って直ぐの二車線道との交差点を直進して、次の信号交差点を直進して、右手に鎮守の森が見えてきます。

 第55番南光坊に隣接する奥之院別宮大山祇神社です。

 というか、神仏分離以前は、かくかくしかじか。

 

15時27分

 

 

15時29分

南光坊四天門。着にしましょう。

 

 本堂。

 

大師堂。

 

「大師座像 従是泰山寺 十八丁」

徳右衛門遍路石ではなく、、。

 

 

「☜ 暮れかけて一里もくれず秋の山 光風亭静道」

 

「当城下鍛治町 / 金吉屋良之助尚信建之」

 

15時57分

 第55番南光坊を出て右折(赤色)がお遍路地図の指示。

 直進すると、高野山別院があります。また、日切地蔵堂もあり、一巡目時は地元の参拝者がいらして、地域信心は篤い様子でした。遠回りという程でもないです。

 

15時58分

 遍路道と言っても、住宅街の道。

 JR今治駅でこの日(4月28日)は終了。