遠藤周作の原作を読んだのは、
中学3年生だったか、高校1年生だったか。
当時は、宗教的迫害にあたって、棄教を迫られる神父。
神父は、自らの信仰を守るのか、踏絵を踏んだ元信徒の命を守るのか。
神に問いかけるが、神は沈黙を守る。
神の沈黙を前に、神父はいかなる選択を取るのが神の教えにかなうのか?
自らの信仰を貫き通す。結果として、元信徒は死ぬまで苦しむ。
元信徒が解き放たれるには、自らが踏絵を踏まなければならない。
高校の時、
「私を踏むが良い」と神父が聞いた声。
それは、神の許しである。
許しは、自らに語り掛けた神の声を信じる時に現れ、
神は沈黙を破ったのではなかろうか?
と感想文に書いたら、
偏った理解であると国語教師に酷評された記憶がある。
映画は、原作を忠実になぞってはいるが、何かが違う。
それは、「沼地」の日本なのかもしれない。
描かれている情景は、明らかに東洋なのでけれど、、
(日本? 台湾でロケ?)
描写の仕方が、明快すぎる。
輪郭は明瞭なのに薄く霞み、
境界を定めようとすると、滲んできて定めがたくなる感じ。
真偽、善悪も揺らいで、茫洋中に消えていく。
な感じを描こうととするも、それをクッキリと描いてしまう感じ。
映画の最後、神父が死を迎える時、
信仰を捨てていなかった、いや、心の中にあり続けたことを、
描かなければすまない感性。
西洋を感じました。