徒然(2024/01/28) | 道のブログ

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わかりやすい文章とはどんなものかと思うことがある。 


皆が難しいという文章でも相性がいいと言うことが手に取る様に分かることもあるし、みんなが分かりやすいと言っている本が論理的な矛盾に打つかって前に進まず読まなくこともある。


だから、もとより誰にでも分かりやすい文を書けるはずがないのであるが、最大公約数的な文というのはあるのではないかとは思う。


ただそういう文というのは後々覚えてることがない文である気がする。引っ掛かる点がないと後々まで覚えていることはないのである。


それを意図して書くというのはある程度力量がないと難しいと思う。ただ簡単ならいいというわけでもなく、ただ引っ掛かる文を書けばいいわけでもない。引っ掛かりが多いとそれはそれで負担となり読もうという気が失せてしまう。


僕は信頼してる人の本は多少読みにくくても編集が荒くても読むが、そういう信頼というのもあるのかも知れない。


夏目漱石、宇沢弘文、岡潔、福田恆存、西部邁、木村敏、見田宗介、河合隼雄、ポアンカレ、内山龍雄あたりはそういう信頼のもとに読む本である。


挙げてみても分野も思想も全く統一感がないが、どういう場合に信頼しどういう場合に信頼しないかはある程度ある。


読んでいて過去の言葉と照らし合わせても矛盾点が少ないあるいは殆どないのである。


例外は岡潔で、矛盾が少なくはないが、それは言葉の綾によるものや、それを書いたときには矛盾はない、つまりは変化したものによるのだろうと理解している。


無論、誰でも変化しようが、あり得ない変化の仕方というのが見られる本も多くあり、そういう場合は読む気がなくなり読むのを辞める。そういうのがないのが岡のように思う。


ある人にとっては分かりやすく、ある人にとっては分かりにくいそういうのはあろうと思う。それを加味したうえで書くというのはとても難しい。得意不得意は人によりけりだからだ。


とはいえ最大公約数的な文は面白みに欠ける。バランスの取れた文を書きたいなと思う。