ガタルカナル島へ | 道普請人_http://coreroad.org/のブログ

道普請人_http://coreroad.org/のブログ

道普請人HP, http://coreroad.org/

ゴールデンウィークを日本で1週間過ごしたのち、パプアニューギニアを経由してガタルカナル島へ渡った。

道普請人(みちぶしんびと)の「土のう」を利用したコミュニティ道路整備の活動に関心を持ってもらった方と、約1年前からメールを通して連絡をとりあっていた。ソロモン諸島国首都ホニアラ(ガタルカナル島)に拠点を置いて、在ソロモン大使館草の根事業を開始された。ある河川下流域のコミュニティを対象とした防災事業であり、防災センターの建設、そこへ通じる道路整備、護岸整備が計画されている。ここで、道普請人が行っているコミュニティ参加による簡便社会基盤整備のノウハウを適用したい、ということで申請される段階から相談に乗っていた。

プロジェクトが始まるにあたり、「土のう」工法のワークショップをするというので3日間対象コミュニティに技術指導を行うことになった。

顔も知らない間柄。それでも、空港ですぐにお互いを認識することができた。ポートモレスビーからやってきた日本人は自分一人だから当然かもしれない。
1週間御宅に寝泊まりさせていただきながら、現場活動を行った。

JICA専門家として活動されていて、プロジェクト対象地域がフィジーにもあるとのこと。2国間を行き来されている。プロジェクトメンバーで長期滞在の日本人はお一人。仕事面での活動形態は自分とやや似ている部分もあり、1週間の滞在で意気投合できた(と自分は思っている)。

年は二つ違いだけど10歳の子を先頭に3人の子供とご夫婦でホニアラで生活されている。この点は、自分にとっては大先輩である。自分はどんな家庭を築いていくのか、少し(実は大いに)考えさせられた。

パプアニューギニアとソロモン諸島の移動は、百田尚樹著「永遠の0ゼロ」の中でも舞台になっている。小説の中ではパプアニューギニアのニューブリテン島のラバウルとガタルカナル島間の移動で、自分の場合はニューギニア島のポートモレスビーとの移動だから厳密には違う。

現実として約70年前太平洋戦争時に日本人パイロットがラバウルを出撃し、ガタルカナル島への1,000km, 零戦で3時間の飛行(今ではニューギニア航空Fokker100で2時間)を経て戦闘に参加し、多くの命が奪われた。

ソロモン諸島、ガタルカナル島でも当時の戦争の様子をしのばせる情景に出くわした。


道普請人のブログ

道普請人のブログ

道普請人のブログ
戦争時の武器等の残骸が集められた場所。各国の鎮魂の碑が建てられていた。

$道普請人のブログ
展示されていた写真
1943年11月に、ガタルカナル島で座礁した旧日本軍の輸送船、衣笠丸


$道普請人のブログ
上写真箇所は今では観光用ビーチとなっている。衣笠丸の残骸は、かろうじて、今でも残っている。

道普請人のブログ
左が福林、右がお世話になった金谷専門家、ともに1970年代前半生まれ
背景は、1943年に座礁した衣笠丸の残骸。約70年前ここで多くの日本人の方が亡くなった。