エンジニアが連休中にプロジェクト対象道路の施工監督をすると言ってきた。仲間の反対を押し切り、許可をした。結局、やっぱり、車がへこんで返ってきた。自分もへこんだ。
カウンターパートスタッフは道路省からあてがわれるはず。車もそう。少ない道路省配属のエンジニア、車でありながら、一方で多くの援助機関からの融資、投資による道路事業。
担当エンジニアは若手。国道クラス整備事業で忙しいから、手のあく週末、休日にコミュニティ道路の整備の施工監督をするという。
仕事熱心なのか。休みに車を乗り回す口実か。
無理をさせて悪いけど、少しでもプロジェクトが進むのならよい、と思った。悪い評判の固定概念にとらわれたくない、とも思った。ここの人もここまでできるんだ、ということを見せてみようと、よそから来た自分が勝手に意気込んでいた。
結局、評判どおりの現実だった。酒を飲み車を乗り回す、挙句のはてにぶつけてしまう。
もう信じられない。自分にとっても相手にとっても悲しい現実。だから、○○をしていはいけない、○○はいけない、などと「縛り」のオンパレードになってしまう。トラブルを避けるため、とは言いながら実情は「あなたのことが信じられません」ということを前提に仕事をすることになる。それでも、プロジェクト実施者にはその方が歩がある。これが国のGDPも、人々も「発展途上」と呼ばれてしまうことの現実か。自分が「先進国ボケ」、していたことを痛感させられた。
担当エンジニアのボスとも話をした。プロジェクトが必要なだけ、エンジニアをあてがうようにする、という。
これからも同じエンジニアと仕事をせざるを得ない。これまで彼が培ったコミュニティとの信頼関係、契約交渉、道路整備の実績のため、そして替わりのエンジニアがいない。罰則が機能しない組織、国。
その後は、休みの日は仕事をさせない、車はプロジェクト付きの運転手に責任をもたせてエンジニアにあてがう、などの「縛り」を設定した。段取りも増えてしまう。
昨日、車は無事に返ってきた。やっぱり、車の調達はこうあるべきだったのか。
プロジェクトマネージャーとしての判断ミス、未熟さを自覚せざるを得ない、苦い経験である。