10月末から約3週間一時帰国をして11月20日にパプアニューギニアに戻った。
10月末のアジア開発銀行(ADB)による中間評価後、すぐに現場を離れることになってしまっていた。留守中もチームのコンサルタントが活躍してくれていたのは頼もしい。中間評価でもらった宿題をここで一つ一つ解決していくことが重要だ。
プロジェクト口座への資金補充が難しい。戻ると金欠状態だった。コンサルタントは手を打っていると思うが、詰めが甘い。これはプロジェクトマネージャーの自分の責任でもあるか、とも反省する。手続きにいろんな機関を通るから、どこかでつまずくとそれがどんどん遅れをよんでしまう。
今回はADB担当者とのメールのやりとりの問題。プロジェクトアカウンタントへの問合せに対し、彼女はすぐに返信していた。それが、ADB内の審査担当者の手元に転送されていなかったという不始末。こちらもADBまで書類が行っているから、と油断した。約2週間放置されていて、あまりに無反応なのでしびれを切らしてこちらから問合せて先の事情が発覚した。
3時間ごとにADBの支払い情報ウェブをチェックする。同じような意識をスタッフとは共有したいけど、そこがなかなか難しい。先週末ようやく審査中の表示が出てきた。もう2,3日だろう。
年内の支払いを期待するなら、書類を12月初旬までにADBマニラへ提出する必要がある。これも最優先事項だ。ハーゲンという地方都市から首都の担当者へ電話で書類の進み具合についてフォローアップしていた。
一週間待って埒が明かないので、いよいよ自分が首都に向かうことにした。書類を持って役所間を回り、事務次官にサインをもらう。そして自らADBマニラへ送付する。うまく事務次官がつかまるかもわからない。自分で書類をマニラへ送るまでは帰れないから、首都からプロジェクト事務所への帰りの予定もたたない。ただ、もう二度と金欠状態になることは許されない。
国内線の費用は往復約四万円。幸いに今回も首都で暮らす日本人の方の家に泊めていただいた。帰りの予定がたたない今回の首都滞在で、本当に同朋の存在はありがたく感謝してもしきれないぐらいだ。相談相手にもなってもらえること、荷物を解いてリラックスできる環境があることがどんなに助けられることか。首都は天然ガスプロジェクトの影響で宿泊者が多いせいかホテルは強気。並みのホテルでも1万円はする。治安上の問題もあるから、あまり安宿にはとまれない。
どうなるか、と気をもんだが、滞在二日目にして、書類にサインをもらうことができ、自分の手でマニラへ送ることができた。三日目にはハーゲンに戻ってくることができた。
いくら親切な方や、「なんでも言ってくれ。」という方がいても、やっぱり他人ごとである。電話口での答えから受け取る印象と、実際に起こっていることには乖離がある。自ら首都まで降りてよかったと思う。