佛教でいう 無 について。

無 とは、なんぞや?
空っぽ 何もない 見えない....

けれど、佛教では、
無限の力 理想郷に達する と説く。
無我夢中 無心無我無為 無為自然 など....

最も この境地にたどり着くのが難しいとされているけれど、
一番 あるのが 大ピンチのとき。
崖っぷち とにかくヤバい 
にっちもさっちもいかない 八方塞がり こんな感じ。
何度も挑戦しても、うまくいかず イライラ💥しちゃう...
またかよ❗....

まさに、陰のなかの陰 まるで 光✴️が見えず

真っ暗で無明。陰の極まり 困る 困る....


こういうときほど、頑張ってしまう。

アクセルとブレーキを同時に踏む ような....

ブレーキを踏みながら 焦って アクセル踏んで....みたいな.....


頑張る より 脱力~佛の知恵。

  






困る という漢字。
木 が 太陽に当たらず 周りは四方八方囲まれたら
成長は止まり 腐っていく やがて根元から。
光合成も起こらず 酸素と二酸化炭素の循環も とまる。
人間 生命体だって
四方八方 囲まれたら 八方塞がられたら

行き場 失うでしょ。借金や人間関係トラブルで。



では、無 とは なんぞや?

あらゆる限界を突破し
新しい世界 光✴️をもたらす 唯一の物差し と
とりあえず 記しておきます。
陰陽 善悪 好き嫌い などの 相対 対立を
すべて 超えて 突き抜けてしまい
新しい世界 を導きだす 偉大な力 それが 無。

日 と 月 合わせたら.....

無我夢中 🧠のフロー状態 無邪氣 こそが、

豊かで、無限のパワーの根源  でしょ。





佛教 面白いですよ。
すべての理 の原点に 触れてみると
苦しみから、脱出 脱力して 解脱できるかも。
無我夢中 の境地に 行けるかも。

大きな苦境に 陥ったとき
にっちもさっちもいかないとき

意識してみたいな。できるだけ 楽しんで。