中央構造線上ライン近くで祭事での事故が多発している事は前記事にみなさんに報告したのですが、14日岸和田だんじり祭でも男性2名が重傷を負う事故が発生しました。毎年岸和田だんじり祭では横転等による怪我人が出ることで知られていますが、
最近では、そうまでして信仰祭行をする必要があるのかというSNSの書き込みや、祭事を行うことへの風あたり的に心無い書き込みが多いので、神事祭事を行い祭事を手伝ってきた私から、少しお話ししたくてブログを更新させていただきたいです。
だんじり、山車、山鉾巡行での事故により死者や怪我人を出してしまった翌年、かわらず巡行する、だんじり、山車を見て確かに理解に苦しむ方々が多いのも事実です。
開催地から隣町では祭事に興味がある人と無い人の差が雲泥であり、興味も無い、理解し難いと、返事が返ってきたりする方々が多くこれがSNSだと、考えが批判的コメントになり、何でも言えてしまう。
しかしながら生まれた時から地域で行われてきた祭事は
神輿、だんじり、山車は宮入れが行われる神社の依り代であり、神輿、だんじり、山車の運行に参加する氏子さんたちにとっては故郷を想う地域に密着している郷土愛の依り代でもあるわけなんです。
今でこそ氏子愛好会のような、方々が参加者には多いと思いますが、昔は地域の長男や兄弟が代表で参加して信仰してきており、故郷を離れずに郷土を守り、地域の重要な跡継ぎでもありました。
SNSでの書き込みは時代が違いますので仕方がない時代とは思いますが、なるべく誤解がないよう機会があれば事実確認をして書いてほしいものです。
事故、死者を出さないような運行する事は大変大事ですが…。
下記はウィキペディアから抜粋ですが、参考までに…。
神幸祭(しんこうさい)は、神霊の御幸[注釈 1](ぎょこう、みゆき)が行われる神社の祭礼。神幸式(しんこうしき)とも言う。多くの場合、神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移して、氏子地域内に御幸したり、御旅所や元宮に渡御したりする。神輿や鳳輦の登場する祭礼のほとんどは、神幸祭の一種といえる。
神幸祭は「神の御幸」の意味で、広義には御幸の全体を、狭義には神社から御旅所などの目的地までの往路の過程を指す。後者の場合は目的地から神社までの復路の過程に還幸祭(かんこうさい)という言葉を用いる。神幸祭・還幸祭と同じ意味の言葉に渡御祭(とぎょさい)・還御祭(かんぎょさい)という言葉もあり、渡御祭も広義には御幸(渡御)の全体を指す。
概要
神幸祭の一般的な意義は産土神が氏子の土地を巡る事で神威を示し、神と氏子が親しく交歓する機会にある[2]。神事が混交している場合もあるが、神幸祭の形式は神の出自や性格によって次の3つに大別できる[2]。
- ミアレ型
- 神が坐す・神が降りる御生(ミアレ)の地から、神威の再生のために神を社に迎える形式。例として葵祭が挙げられる。
- ミソギ型
- 怨霊・疫神などの祟り神を水辺や海の禊ぎ場に送り、氏子や神具とともに禊祓する形式。祇園祭の本来の姿である御霊会は禊ぎのための神幸である。今日では少なくなった形式だが宇出津町のあばれ祭りなどに見られる。
- オイデ型
- 氏地内に御旅所を設け、神との交歓のために御出(オイデ)を乞う形式。松尾大社の松尾祭などが例として挙げられるが、産土神の神幸祭は一般的にオイデ型である[2]。
本来は、神霊を集落内の祭壇に迎えたものが、祭壇が神社に発展すると、迎える行為が逆の意味の「里帰り」として残り、神幸祭になったと言われている。このため、磐座などの降臨の地が御旅所となり、現在では元宮や元の鎮座地である場合が多い[2]。
御旅所に向う神幸祭の流れは、
- 神輿などに神霊を移す神事
- 神社から御旅所への渡御
- 御旅所での神事や奉納(御旅所祭)
- 御旅所から神社への還御
- 神霊を還す神事
であり、数日間に及ぶ場合もある。2や4の過程で、氏子地域内を巡幸する場合が多い。御旅所などに向わない場合には、神霊が氏子地域を見回る、或いは、ある場所で神事などを行うために御幸される。
神輿を巡幸のために神社の境内から出すことを宮出し(みやだし)、巡幸を終えた神輿が境内に戻ることを宮入り(みやいり)という。この語は、稚児や氏子から奉納される山車などが神社から出る・入る場合にも用いられる。