追憶の銀塩~トスカーナの陽だまり | Lontano dagli Occhi ~Ameba棟~

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どうも、こんばんは~!^^

すっかりダレまくってますが、なぜかupだけはしたい気分の今日この頃です・・・^^;


「銀塩」というあまり聞きなれぬ言葉に戸惑われた方もいらしたようなので、コメント前にこちらでお伝えしておきますね!

デジカメがこれほどまでに一世を風靡する前には誰もが使っていたあのフィルムカメラのことでございます。

その頃は私も「テキトーに」一眼レフも使ってたのですよ~^^

中には父からのイタリア渡航へのお餞別として、なぜかライカM2なども頂戴しまして・・・

イタリアにいる間、たま~にだけですがライカでローマやボローニャの町を撮ったりなどもしてみました。

帰国した今は、「当然の如く」父から「返せライカを!」の声が^^;

お餞別じゃなかったの~!?

ま、いいんですけどね・・・


ということで、テキトーに撮った写真で恐縮ではありますが、その「ライカM2」で撮影したトスカーナのとある田舎を一枚。むか~しむかし、1998年5月のことであります(笑)

私も全く写真には詳しい人間ではないのであまり言える立場ではないのですが、実際に撮ってみてこのカメラが捉える写真の中の質感というのか物質感というのか、平面の中にもしっかりと手ごたえを感じるのが不思議でした。

それは、デジカメを手にする今でも時々思い出す、他に比べられない手ごたえと充実感。

建物を捉えれば、その建材である石を肌で触れて感じたざらざら・ひんやり・堅牢さがまざまざと思い出されるような。

草を捉えれば、踏みしめた土の感触がしっかりと足元に蘇ってくるかのような。

写真に立体的な命と息遣いを感じるのです・・・

「なんでも鑑定団」のあの中島誠之助先生も、「デジカメ写真では真贋を判別できない。しかしフィルム写真は本質を捉えるので、焼き物など一発で本物か偽物かわかる」といいます。

たかが写真、されど・・・なのですね。だから、自分が実際に銀塩写真から感じ取る質感は、中島先生のお言葉を聞いて妙に納得してしまったものです。

ライカの話に戻りますが、でもってカメラそのものを手にするとき、シャッターを切るとき、これまた満足感が違うのですよね♪

電池もいらない、超シンプルなライカ。ずっしりと手に訴えかけてくるライカのシャッターの重みが好きです^^

でも、銀塩はやはりお金がかかるので・・・プリントも保管に苦労するし・・・

ということで、やはりデジカメの手軽さには勝てない昨今であります^^

それに、銀塩をスキャンしデジタル化してしまった時点で銀塩は銀塩でなくなる・・・そんな気もします。片鱗はあったとしても・・・どうなのでしょうね?プリントした写真にしか出せない何かがあるのです、おそらく・・・

とはいえデジタルもアナログも、その向こうに人が見えてくる。もしくはその人の心意気が見えてくる。

だから写真って面白いものだなあ、と思います^^