*第七夜* | 阿久澤菜々のブログ

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~Nana Akuzawa Official Blog~

第六夜、ありがとうございました。

ロードムービーって良いですよね。
人生の中でほんの数日の出来事だったり、行きずりに過ぎない人々が、一生心に残ったりいつまでも煌めいていたりする。

観劇体験も、そうだなぁ、そうあったら良いなぁと思います。

このシリーズは、今日で一旦おしまいです。
拙筆にお付き合いいただき、ありがとうございました。
また気が向いたらやってみるわね。今度は実際に会って、朗読でもできたらいいのだけど。

少しずつ、状況は良くなっていると信じて、もう一踏ん張りしましょう。
どうぞ健やかに、心穏やかに。

それでは第七夜です。またね!

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第七夜 『母を褒める』


「あら〜可愛い!チカちゃんは何でも似合うわねぇ。」

娘の千賀を手放しで褒める母・朱美を、由美は複雑な気持ちで見つめていた。

側から見れば、ただ祖母が孫を可愛がる、微笑ましい光景に違いない。

新しいカチューシャをもらって、無邪気に喜ぶ千賀。甲斐甲斐しくつけてやる朱美の姿は、"良いおばあちゃん"そのものである。

由美は、口の中に広がる苦々しさを、出来るだけ無視しようと努めた。


「ほら千賀、ありがとうは?」由美が促すと、千賀は少し俯いて、

「おばあちゃん、ありがと。」と呟いた。

「まぁまぁ、どういたしまして。偉いわね〜ちゃんとお礼まで言えて。」

ワントーン高いところから繰り出される声はしかし、由美の神経を逆撫でする一方だった。


由美は、母朱美と折り合いが悪い。

育ててもらった恩はあるし、感謝もしている。

しかし、幼い頃から積み重ねてきたわだかまりは、この先も消えそうになかった。


「もっとはっきり喋りなさい!」が、朱美の口癖だったはずである。

しかし、同じく内気な千賀に対して、その言葉が発せられたことはない。

由美も昔カチューシャを欲しがったことがあるのだが、その時は「あんたにこういうの似合わないわよ。」と一蹴された。朱美は覚えていないらしいが。


由美は、今感じている不快感の正体に気付いて愕然とした。

私は娘に嫉妬している。


小さい頃は、自慢の母だった。

明るくしっかり者で、人当たりも良い。ハキハキとした美人で、友達に羨ましがられた。

朱美はよく脈絡なく怒ったが、それにはちゃんとした理由があり、由美のためを考えているからだと、しばらく信じていた。


しかし大きくなるにつれ、由美はあることに気付き始めた。

母はどうやら、自分の感情と自分のタイミングを、何より優先するらしい。


4つ上の兄との扱いの差も、納得がいかなかった。

例えばテストで同じ点を取っても、兄は前より上がったと褒められ、由美はもうちょっと頑張れないのかと顔をしかめられた。

兄は、何かにつけてお兄ちゃんだからと優遇されたが、由美は女の子なんだからと許されないことが多々あった。


しかし今、千賀に対する態度を見ていると、男とか女とか、あまり関係なかったんだなと思う。

由美は思わず、少し嫌味を込めて言った。

「千賀のことずいぶん褒めてくれるのね。」

すると朱美は、「そりゃそうよ。私の孫だもの。」と、さも当たり前という顔で返した。


付き合いの長い、諦めに似た感情がまた湧いてきた。

ふと奥を見ると、黙って新聞を読んでいた父と目が合う。

同情のこもったまなざしに、由美は少し救われた。

軽くすくめた肩は、「母さんはこういう人だから。」と雄弁に物語っている。


由美は、この穏やかな父が好きだ。

知的で物静かで、決して怒らない。

なぜ母のように感情の起伏が激しく、矛盾した人間と結婚したのか、不思議に思う時もある。

実際母は、父に向かって「本当は他に結婚したい人がいたんだからね。」などと悪びれずに言い放ったことがある。

父はただ、参ったなぁという顔をして、微笑んでいた。

それでも30年共に暮らしているのだから、夫婦はわからないものだ。


学者である父は、よく遠い目で考えごとをする。どこか別の世界を生きているように見える時がある。

対して母は、目の前の現実をたくましく闊達に生きている。

間を取った自分は、何だか宙ぶらりんな存在だと、よく由美は感じていた。


実家にいた頃の由美は、父のように割り切ることもできず、ずっと歯痒かった。

何とか母に、自分を認めてもらいたかった。


一度だけ、本気で怒ったことがある。

結婚前提で付き合っていると夫を初めて紹介した後、良い顔をしないことまでは予想できたが、あろうことか、勝手に由美を結婚相談所に登録しようとしたのである。

朱美は、あんたのためを思っての一点張りで謝らなかったが、由美はありったけの不満をぶちまけ最後にこう叫んだ。

「本当は好きになりたいのに、お母さんの言動の一つ一つが、その気持ちを打ち消そうとしてくるんだよ!」

それでも大嫌いとは言えない由美の、精一杯の抵抗だった。


朱美は珍しく黙ったままで、次の日、一緒に映画を観ようとビデオを取り出してきた。

「愛と追憶の日々」という少し前の洋画。母と娘の30年の軌跡を綴った名作だ。

断わろとしたが、朱美は一度決めると梃子でも動かない。

映画自体は素晴らしかったが、感想には正直困った。

シャーリー・マクレーン演じる母親役の表情や仕草が、朱美によく似ていて驚いたのを覚えている。

いつものごとく一方的なやり方だが、母なりに、感じていることや伝えたいことがあるのはわかった。

その時だけは、ようやく少し通じ合えた気がした。


とはいえすぐに、また元の日々に戻ってしまったのだが。


子供ができた時は、咄嗟に娘じゃなければいいと過ってしまった。

可愛がる自信がなかったし、母のようになりたくなかった。


しかし、何の因果が娘が生まれると、自分がされたかったことや言われたかった言葉が溢れてくる。

千賀と過ごす時間を通して、子供の由美が癒されていくようだった。


ようやく気持ちに余裕が出てきて、母に、孫と過ごす時間を増やしてあげようと思った。

その結果が、今日の有様である。


帰宅後、朱美の言動を振り返って、遅れて虚しさが襲ってきた。

由美は、何十年と叶わなかった望みを、改めて痛感した。


ただ、母に褒めてもらいたかった。

さすがは私の娘と言って欲しかった。

由美が何を求め何に傷付くのか、共感までせずともせめて、理解してほしかった。


あぁ私、まだ諦め切れてなかったんだなぁ。

そう思うと目の奥が痛くなってきて、由美は思わずしゃがみ込んだ。


その時、髪に何かが触れたのを感じた。

顔をあげると、千賀が小さな手を伸ばして、おずおずと上下に動かしている。

どうやら撫でてくれているらしいと気付いた時、千賀が小さく歌うように言った。

「ママ、泣かないで。ママはえらいよ。いい子だよ。」

そして、由美がよくそうしてあげるように、ぎゅっと頭を抱きしめた。


次に溢れてきたのは、先程とは全く違う涙だった。

由美は千賀を力強く抱き返した。

小さな身体から伝わってくる温もりは、由美のすべてを肯定していた。



次に帰省した時、夕食を共にしながら、由美は計画を実行した。

ささやかな復讐を思いついたのだ。

朱美の顔をまっすぐ見て、心からこう言った。

「お母さん。やっぱりお母さんのご飯美味しいね。さすがだわ。」

「やだ気持ち悪い。突然何よ。」予想外の攻撃に、朱美は居心地が悪そうだ。

その様子は痛快だった。父が軽く咳払いをして、笑いをごまかした。

由美も、心の中でほくそ笑む。ざまあみろ、これから褒めて、褒めて褒めまくってやる。

そして、いつか観た劇中のデブラ・ウィンガーのように、「あははっ」と軽やかに声をあげた。


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