*第六夜* | 阿久澤菜々のブログ

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~Nana Akuzawa Official Blog~

第五夜、ありがとうございました。
 
初めてホラーというジャンルに触れたのは、小学6年生の時の「リング」でした。
しばらくは、そこら中の空気が不穏な気がしたり、カラスが一声鳴いても不吉!と思ったり。
 
怖いの苦手なくせに怖いもの見たさを抑えられず、一時期ネットで、本当にあった怖い話とか読み漁ってました。
そして夜になり後悔してました。
どうしても怖い時や夢に出てきた時は、頭の中で無理やり、アクションやコメディやヒューマンドラマに路線変更しようとしてます。
あまりうまくはいきませんが。
 
それでは第六夜です。また明日。
 
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第六夜 『黄色い花のハンカチ』

「こんにちは。スマイルキーピングの里中です。」

いつも通り、6割程のテンション、4割程の笑みを保ちつつ、結衣は玄関先で待つ。

 

この仕事を続けて早7年。

必要以上にスマイルをキープしたことはないが、それで問題になったこともない。

人と関わることが苦手で、黙々と家事をすることは好き。そこそこ大手の事務職を依頼退職した後、収まるべきところに収まったもんだと、結衣は思う。

不特定多数の人間と初めて会うことが多いという点では、もちろん常に平穏無事という訳にいかない。

派遣元も何度か替わったが、今の会社は比較的クライアントの質が高い。つまり、きちんと仕事をこなしてさえいれば、一介の家事代行者に関心を持たないでいてくれる、現代人が多いのだ。

 

とはいえ、今日の結衣は少しそわそわしていた。

「はーい。今行くわよぉ。」

こちらもいつも通り、朗らかな返事が聞こえてくる。このクライアントは、ちょっと違う。

 

ハナさん、と言った。

まもなく古希を迎える老婦人だが、結衣の倍は元気だった。

上品に巻いた髪、毎度違うアクセサリーを華やかな衣装に合わせ、いつでも優雅なランチへ出かけられそうだ。


高齢の為、家の中を手伝ってくれる人が必要との事だったが、基本的に部屋は綺麗で、食事の量も多くない。

作業は全く苦にならない。

結衣にとって問題があるとすれば、週に1回丸3時間、ハナさんは外出などせず彼女に付きっきりなのである。

 

小洒落た装飾の扉が開く。

予想通り、そこには満面の笑みが待っていた。


たぶん結衣の人生において、顔を合わせる度にここまで歓迎してくれるのは、ハナさんか昔飼っていた柴犬くらいである。

手の込んだティータイムが用意され、本来結衣が作るべき夕食も、何なら提供されることさえあった。

 

初めの頃は、自らの領分を侵されるようで煩わしく感じた結衣だったが、最近は何だかこそばゆいような、楽しみにしているような自分がいる。

それでいつも、ハナさんの玄関先ではそわそわしてしまうのだ。


郊外のこぢんまりとした家に一人住むハナさんは、およそ優雅な趣味と聞いて思い浮かべるものは全て嗜んでいた。

紅茶、お茶菓子、クラシックにシャンソン、油絵からガーデニングまで。一つ一つ丁寧に、知っていることを教えてくれた。

結衣は時々、ハナさんは貴族かおとぎ話の住人じゃないかと思うことがあった。


「2人だけの秘密にしましょ。」と言われて、一緒に映画を観たこともある。

「幸福の黄色いハンカチ」という昔の邦画だった。

結衣は久しぶりに声をあげて笑い、そして初めて人前で泣いた。こっそり涙を拭って横を伺うと、ハナさんはその倍号泣していた。

そして、いつか夕張を旅するのが夢だと言った。

 

「結衣ちゃん、今日は着物を見せようと思ってたの。だいぶ古くなっちゃって、大した価値もないんだけどねぇ、本当に綺麗な刺繍のがあって…」

のっけからハナさんは、結衣を奥の間へ案内した。

他愛もない内容ばかりだが、口を開いているのは8割がた彼女である。

上機嫌な様子に、結衣の顔もほころんだ。


しかし、アンティークな箪笥の一段目、引き出しいっぱいに入っていたのは、着物ではなくハンカチだった。

色とりどりの、何十枚ものハンカチだ。

結衣が驚いて見ていると、

「あらやだ間違えちゃった。着物は一つ下だったわ。」

右手で頬を抑え、悪戯が見つかった少女のような顔をして、ハナさんはこう続けた。

「昔ね、悲しいことや辛いことがある度に、ちょっとでも慰めにならないかと思って買うようにしてたの。そしたらこんないっぱいになっちゃって…とっくにやめたわ!」

そして、整然と並べてある中から一枚、小さなたんぽぽの花が描かれているハンカチを取り出すと、「はい、幸福のおすそわけ。」とおどけて、結衣の手に納めた。

「ハナさんてば。悲しい時に買ったんでしょう?」だいぶ軽口をたたくようになった結衣が茶化すと、

「そうよ。だから、幸せになりますようにと願って買ったの。うんと念が込められてるからね。」と嬉しそうに笑った。

 

それからほどなくして、ハナさんとの契約は解除された。

遠方に住んでいた親族が引き取り、ホームに入所させることになったそうだ。

最初に違和感に気付いたのは、おそらく結衣だった。

まさかと思いつつ、少しずつ増えていく物忘れから、その可能性に思い当たった時は、心臓が凍るような気がした。

上司に報告したのは自分である。

居心地の良い、小さなお城みたいな我が家から、ハナさんを追い出してしまった、そのきっかけを作ってしまった。

すべきことをしたんだといくら言い聞かせても、罪悪感は消えなかった。

 

知らせを聞いて、ハンカチを見つめながら、結衣は悔やんだ。

たくさん話したはずなのに、ハナさんの事を思ったより知らないことに気付いた。

きちんと別れることすらできなかった。

せめて、この一枚に込められたエピソードだけだも、聞いておけばよかったな。



思い立って、結衣は3日間の有給を取った。

今日から初めての一人旅。最終目的地はもちろん、夕張だ。

黄色い花のハンカチは、お守り代わりの旅の友。

花言葉は神託、幸福、そして別離。

右手に握ったそれを空高くかざして、ひとしきり風になびかせた後、結衣は北へ、最初の一歩を踏み出した。


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