シンプル
簡単
この言葉が超絶好きだわっ
昔も今もこれからもっ
鴨川みちこです
生きるコトに
悩みまくる時期って
あったりしませんでした?
悩みって
とかく自分が勝手に
難しくしてしまっている とか
簡単に紐解けるとか
シンプルに原因はこれだよとか
わっかんないから
悩んでるんだよねー実際問題
悩むの好きなんだとか
悩んだ先に何がみえるのとか
悩んで勝手にいじけてろよとか
そういう罵声を
自分に放ってた時期があって
それこそが
生きるコトに対して
肯定できてなかった時期
生きるコトに対して
肯定できてなかった時期に
ワタシ
東京旅行
すっきり晴れた秋の空に
都庁が映える❤️
東京都庁
大きな熊手
ピアノ🎹
これを見に行きたかったんだ❤️
長文となりますが、一気読みどうぞ〜〜
記憶喪失といっても
ドラマによく出てくる過去の記憶を
一切無くすとかではないのね
一時的な記憶障害
ある一定期間の記憶が
ごっそり無くなっている感じだと
診断されました
離婚したのが私37歳
結婚して11年目の秋だったよ
長男が小2で
次男が2歳半
記憶障害の診断を受けたのが
長男が小6、次男が小1
離婚自体は
他人同士の2人がお互い違う道を歩む為
離れる、ただそれだけ
だけど
幼き息子から
世界でたった一人の
「お父さん」という存在を奪ったのは
まぎれもなくワタクシ
全身全霊で
幼き息子達を守り育てねば
まずは3年
死に物狂いで頑張ると
固く心に決めたんだ
3年月日が経ったある日
長男がサッカーをやりたいと言い出した
スポーツ全般好きな子だから
それまでも
野球、水泳、テニスをやってて
自分からやりたいって言い出したのは
サッカーが初めてだった
所属したサッカーは
地区の公民館サッカーだったので
子供達のお世話やコーチ陣サポートを
全保護者が担うという
シングルの私にとっては
負荷が高い習い事だったんだよね
週末は
ほとんどの時間を
サッカーに費やすようになった
私は限りなく時間をとられるコトに
恐れを感じていた
早朝5時から
学校の部室から
サッカー荷物を
各保護者の車へ運び
子供達を試合会場へ送る
会場へ着いたら
テントを張り
子供達の練習サポートを行い
コーチ陣に軽食をふるまう
次男をあやしつつも
次男とピタピタ触れ合う時間が無いコトに
ワタシは
すごく悲しみを覚えた
お母さん達との会話に
ついていけない
フルで働いている私は
学校行事に疎く
学校の先生方の話
同じクラスの保護者の方の話をされても
ほぼ共感出来ない
仕事で成果あげる事
家庭内衣食住を整える事
息子達の学校生活に支障が無い事
コレ以外へ回すキャバが
正直無かった
口には出さずとも
疲れていた
疲弊していた
休みたい
帰りたい
子供達のサッカーサポートは
どのご家庭もお父さんがされてて
羨ましかった
ある日
私がサッカー道具運ぶのを
よそのお父さんに手伝ってもらってたら
サッカーママがコーチにチクった
1家庭代表でサポートにきてるのだからと
ラクしてもらっては困ると
コーチにチクられると
長男にホコ先がいってしまうんじゃないかと
ビビりキャラではない私でも
正直ビビっていた
そうして
テントでコーヒーを飲んでいる時に
疲れたな、、と
思わず口に出てしまったら
まくしたてるように
サッカーママから怒られた
「サポートするのが役目だと」
その時だよ
めっちゃくちゃ
違和感を覚えたんだよ
はあっ??って
なんかさ
正論だよね
正論言って相手非難して
いいご身分だよね
誰に対して言ってんの?
誰に対してサポートしろって言ってんの?
私は
相手の表面だけ見て
怒りをあらわにしない
怒りをあらわにする前に
相手の背景まで理解しようとする
それでも
一言物申さねばいけないと思うなら
その人に伝わるであろうやり方を
選択して伝える
感情にはもっていかない
あんたの言葉は
私には刺さらない
「撤回してください」
と詫びをいれさせた
ワタシ
全肯定
ワタシは
プライドを持って
生きてきた私を優先した