今月の頭に、父の四十九日と納骨を済ませてきました。

父は祖父母と一緒に、父自身が建てたお墓に収まりました。


そうしてすこし落ち着いた先日、父の夢を見ました。


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私と夫と娘と息子、そして夫の友人と自宅ではないマンションの一室のようなところのリビング。

夜、おそらく晩ごはんの最中。


突然玄関のドアがバンバンと叩かれる音がする。

リビングからは首を伸ばせば玄関ドアが見える。


「なんだろう?」


私は席を立って、ドアの方を見る。


ガチャガチャガチャ


ドアノブを開けようとする音がする。

鍵は閉まっていないが、チェーンはかかってる。

それがわかったのか、今度はガチャンとドアが開き、チェーンがビンッとひっかかる。


私の位置から、人の姿は見えない。

するとドアの隙間から、バッと手が差し込まれた。




…いや、めちゃくちゃホラーなんですけど、

夢の中の私は別に怖いわけではなかったです。


手が引っ込んで、チェーンが外れ、入って来たのは父でした。


「お父さん」


夢の中の私も、父がすでに亡くなっていることはわかっている。

ああ、これはお父さんの幽霊なんだ、と思いながら


でも怖いわけでもないので、普通に会話する。


父はすごくハイテンション。

ずっと話をしている。

「俺は九州に行きたかったんだよ」

とか言ってる。


母曰く、父はおしゃべりな人らしいのだけど

子どもの前であまりベラベラ喋るタイプではなく、嬉しそうに捲し立てて喋る姿は初めてでした。


起きた直後はどんな話していたか覚えていたのですが、二度寝したら忘れました。メンゴ。


喋るだけしゃべると、父は去っていきました。


父が去ったあと、夫の顔を見ました。

夫も幽霊だとわかっているようでした。


「すごいしゃべってたね」

「いや、あんなに喋るの私も初めて見たよ」


子どもたちもポカーンとしていました。

子どもたちが知ってるのは、もうほとんど喋れず、ちょっと覚束ない足取りでウロウロしている父だけです。


そうそう、父はスーツ姿でした。

グレーっぽい茶色のスーツだったと思います。

晩年の姿とは違って、白髪の混じった髪をしっかりセットして、口髭を切り揃えた姿だったと思います。


ふと父の友人を見ると

「何かあったの?」とアワアワしています。

彼には父の姿は見えなかったようです。


ああ、やっぱりあれは幽霊なんだ。

夢の中で私はそう思いました。



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この話を妹にすると、

「いろいろ解放されたってことなんじゃない」


と言われて、なんだか腑に落ちました。

父が脳出血で倒れてから、父の生活は一変しました。


仕事も、飲みに歩くことも、あれほど好きだった釣りもできなくなり

でも本当はしたかったんだと思います。


そしてやっと、できるようになった。


夫も


「九州に釣りに行きたかったんじゃないかな」

と言いました。


そうかも。

夫は、病気したあとの父しか知りません。

だからもし元気なうちに会っていたら釣りに連れ回されていただろうな、なんて話をよくします。


父の高級釣具も夫が受け継ぎました。



私は多少、スピリチュアルなものに興味はありますが傾倒しているというほどではありません


だから父がメッセージを送ってきたのかもしれないし、

私がただそうあって欲しいと思っただけかもしれません


何はともあれ、元気そうな父の姿が見れてよかったです。


祝日、私や子どもたちが楽しみにしていたイベントがありました。

ずっと準備をしているのを母も妹も知っていたので、気を使って私には伝えていなかったのです。

 

なにより、父はコロナなので見舞いはできず

意識もない。

 

イベント当日、そろそろ起きないと…とスマホを見た私は飛び起きました。

兄から10分ほど前から何回も着信が来ているのです。

 

「お父さん、死んだよ。妹がお前には言うなって口留めしてたんだけど、入院してたんだよ」

 

兄は静かな口調でこう言いました。

そして母に代わりました。

 

「こちらに来ても、あなたがすることは何もないから。ご迷惑をおかけしちゃうから、あなたは予定通り過ごしなさい」

 

 

私は予定通り、イベントに参加することにしました。

不思議と涙は出ませんでしたが、なんだかずっとふわふわしているような気持でした。

 

そして午後、父の葬儀などの予定が決まりました。

父は長く隠居状態だったこと、死因が感染症であったことから葬儀は行わず、家族だけで火葬まで済ませることになりました。

 

そしてその火葬の日は、私の誕生日。

父は自分が生まれ育った場所で、娘の誕生日に、火葬されたのです。

 

もうちょっと空気読めよな。

 

 

 

 

子どもがまだ小さいので、私だけ実家に向かい、

夫と子どもは同じ県の義実家で待機していてもらうことにしました。

私たち家族と、父の妹の家族だけで送り出しました。

 

大柄な父は棺桶にぎゅーぎゅーに詰められていました。

 

父は酒飲みですが甘党なので、好物のおはぎと赤飯も一緒に棺に納めました。

材料もち米と小豆でモロ被りじゃんwとみんなで笑って、送り出しました。

 

骨になった父の、顎や足の親指がすっごいでかくて、私と妹は思わず吹き出してしまいました。骨壺にも収まりきらない勢いで、がしゃんがしゃんと詰め込まれていました。

 

午後にはちらほらと、父の友人や近所の人、仕事関係の人たちが弔問に訪れました。

其のたびに不思議なことに、部屋の中に大きな虫が入ってくるのです。

 

お客さんの頭をぶんぶんと飛び回るでっかい虫を「おとうさん」と呼んでまた笑いました。

 

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これは私と妹がお弁当を買いに出たらめちゃくちゃ絡んできたオオスカシバ。またの名をお父さん一号…笑

 

父が亡くなったことは悲しいけれど、父の姿を見たときは涙が溢れたけれど

そして今もまた、ポロポロと涙が出てくるけれど、

 

父に対してできるだけのことはした、と思っているので後悔はありません。

 

父の形見分けで、タイピンとカフスボ

タンを夫に…と見せてもらったのですが

 

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ヘイ♪バブリー!

どっこにつけてくんだこんな派手なの!!!

 

プラチナだのダイヤだの24金だの、私が持ってるジュエリーより高そう…

とりあえず夫が選んだ数個もらってきたのですが、そもそもスーツ着る機会もほとんどないのにいつ使うの?笑

 

でも父はこういうのが似合う男でした

大柄だから既成品のサイズが合わず、昔は外国ブランドの服ばかり

パンツはなぜかいつもシルク

 

子どものころはいつも父がヘアセットするドライヤーの音で目を覚ます。

部屋着でだらだら過ごすなんてことは全くなくて、いつでもビシッと決めてジャガーを乗り回していました。

 

私の年代からすると、父は友達のほかのお父さんより10個くらい上ということも珍しくなかったのですが、だれよりもかっこよかったです。

父は決していい父親などではなく、いい夫でもなく、いい経営者でもありませんでした。大きな身体と大きな態度で虚勢を張っているような昔の男。

 

母をずっと悲しませて苦労させてきた男。

それでも父は父で、好きでも嫌いでもないけれど、

 

かっこよくていつもなぜだか自信満々の父は、見てくれだけでも自慢の父でした。

父が亡くなりました

享年76歳でした

 

週末父は荼毘に付され、お骨になりました

父がお骨になったこの火葬場…

 

ここは10年ちょっと前にできた新しい施設ですが、その前はここに我が家の畑がありました。
祖母が毎日のように耕して、大きな栗の木があって。
今頃の季節にはたくさんの大きな栗を拾いました。
奥に見える小山で、私も秘密基地を作って遊んでいました。
 
畑の横は父の会社の資材置き場で、会社が火事に遭ったあとは、ここに事務所を建てて毎日父はここで働いていました。
そんな場所で、父は骨になったのです。
 
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父は11年ほど前に、クモ膜下出血をしました。
半年ほど意識がなかったにも関わらず、幸い麻痺も障害も残らずに父は退院できました。それから父は仕事には戻らず、大好きだった釣りもすることなく、ただ静かに家で過ごしていました。
あんなに派手好きおしゃれ好き遊び好き女好き酒好きの父が、ずっと家にいるのは家族としては変なきもち。
 
 
病気をしたことで、昔の父はもういないんだな…と思うと
それが少し寂しかったです。
 
でも私の結婚式のために海外に行ったり、孫を抱かせてあげることもできたので、そこは良かったかなと思っています。
 
 

数日前から「お父さんの様子がおかしい」

母が言い出しました。

「急に認知症が進んだ気がする。起きてこないしご飯も食べない」

 

その数週間前、私が実家に帰った際に見た父の姿。

結果的にそれは最後の生きている姿になりましたが、父の友人が来ているにも関わらず、下着姿でトイレに行き、声をかけられてもぼんやりしていました。

 

その姿を見たとき、「もう長くはないだろうな。生きる気力を感じない」

私はとっさにそう思いました。

 

だって、父はものすごいナルシストなんです。

昭和22年生まれにしては大柄で、身長は183センチ。

豊かな髪の毛をふさふささせて、高い鼻の濃い顔立ち。

若い頃は俳優をしていた時期もあって、学生運動にも身を投じ、交友関係も華やかだったようです。

 

何より、私には数年前から予感めいたものがずっとありました。

 

お父さんは、77歳くらいで死んじゃうんだろうな…

 

何の根拠もありません。

でも2年ほど前から明確にそんな気がしていました。

流石に不謹慎すぎるので自分の心に留めていましたが、母から父の異状を聞いたとき、「やっぱりな」

ただ、そう思いました。

 

父の誕生日はクリスマス。

クリスマスが来れば父は77歳になります。

思ったよりはちょっと早かったけど、でもやっぱりそうなんだろう。

 

週末は母と一緒に出掛ける用事がありました。

父の体調が心配なので、母は行くのを躊躇っていましたが

私は思っていたことを伝えました。

 

「お母さんは頑張ってる。後ろめたいことなんか何もない。もしこれでお父さんが…ってなっても、そういうタイミングだったってだけ。実はお父さんは77歳くらいまでなんじゃないかって、2年くらい前から思ってた」

 

当日、母は私のために来てくれました。

ときどき兄から電話がかかってくるのを不審に思いながらも、夜に母とわかれてそれぞれ家路につきました。

 

 

その日、胸騒ぎがして帰宅した母を待っていたのは、吐血した父の姿でした。

救急車を呼んで病院に搬送されました。

父はコロナに感染していました。

 

私はそのことを全く知らされていませんでした。