祝日、私や子どもたちが楽しみにしていたイベントがありました。
ずっと準備をしているのを母も妹も知っていたので、気を使って私には伝えていなかったのです。
なにより、父はコロナなので見舞いはできず
意識もない。
イベント当日、そろそろ起きないと…とスマホを見た私は飛び起きました。
兄から10分ほど前から何回も着信が来ているのです。
「お父さん、死んだよ。妹がお前には言うなって口留めしてたんだけど、入院してたんだよ」
兄は静かな口調でこう言いました。
そして母に代わりました。
「こちらに来ても、あなたがすることは何もないから。ご迷惑をおかけしちゃうから、あなたは予定通り過ごしなさい」
私は予定通り、イベントに参加することにしました。
不思議と涙は出ませんでしたが、なんだかずっとふわふわしているような気持でした。
そして午後、父の葬儀などの予定が決まりました。
父は長く隠居状態だったこと、死因が感染症であったことから葬儀は行わず、家族だけで火葬まで済ませることになりました。
そしてその火葬の日は、私の誕生日。
父は自分が生まれ育った場所で、娘の誕生日に、火葬されたのです。
もうちょっと空気読めよな。
子どもがまだ小さいので、私だけ実家に向かい、
夫と子どもは同じ県の義実家で待機していてもらうことにしました。
私たち家族と、父の妹の家族だけで送り出しました。
大柄な父は棺桶にぎゅーぎゅーに詰められていました。
父は酒飲みですが甘党なので、好物のおはぎと赤飯も一緒に棺に納めました。
材料もち米と小豆でモロ被りじゃんwとみんなで笑って、送り出しました。
骨になった父の、顎や足の親指がすっごいでかくて、私と妹は思わず吹き出してしまいました。骨壺にも収まりきらない勢いで、がしゃんがしゃんと詰め込まれていました。
午後にはちらほらと、父の友人や近所の人、仕事関係の人たちが弔問に訪れました。
其のたびに不思議なことに、部屋の中に大きな虫が入ってくるのです。
お客さんの頭をぶんぶんと飛び回るでっかい虫を「おとうさん」と呼んでまた笑いました。
これは私と妹がお弁当を買いに出たらめちゃくちゃ絡んできたオオスカシバ。またの名をお父さん一号…笑
父が亡くなったことは悲しいけれど、父の姿を見たときは涙が溢れたけれど
そして今もまた、ポロポロと涙が出てくるけれど、
父に対してできるだけのことはした、と思っているので後悔はありません。
父の形見分けで、タイピンとカフスボ
タンを夫に…と見せてもらったのですが
ヘイ♪バブリー!
どっこにつけてくんだこんな派手なの!!!
プラチナだのダイヤだの24金だの、私が持ってるジュエリーより高そう…
とりあえず夫が選んだ数個もらってきたのですが、そもそもスーツ着る機会もほとんどないのにいつ使うの?笑
でも父はこういうのが似合う男でした
大柄だから既成品のサイズが合わず、昔は外国ブランドの服ばかり
パンツはなぜかいつもシルク
子どものころはいつも父がヘアセットするドライヤーの音で目を覚ます。
部屋着でだらだら過ごすなんてことは全くなくて、いつでもビシッと決めてジャガーを乗り回していました。
私の年代からすると、父は友達のほかのお父さんより10個くらい上ということも珍しくなかったのですが、だれよりもかっこよかったです。
父は決していい父親などではなく、いい夫でもなく、いい経営者でもありませんでした。大きな身体と大きな態度で虚勢を張っているような昔の男。
母をずっと悲しませて苦労させてきた男。
それでも父は父で、好きでも嫌いでもないけれど、
かっこよくていつもなぜだか自信満々の父は、見てくれだけでも自慢の父でした。