岸田首相が異次元の少子化対策を標榜してから、

家庭や育児に関する議論がワイドショーで白熱している。

 

やれ、子育てにはお金がかかる

やれ、企業は男性に育休を積極的に取らせるべきだ

やれ、育児や家事は夫婦で分担すべきだ

 

昭和の時代から、家庭を築いて、子育てをすることがステレオタイプの幸福像としてひたすら喧伝されてきた。

(ステレオタイプというのは、個人の感想ではないということ。)

 

本当にそれが幸せなら、あらゆる犠牲を払っても、なぜ不平不満が噴出するのだろう?

 

本心か、強がりか、選択を肯定するための方便だかは知る由もないが、こういう主張も散見される。

「家庭や育児は目指すべき幸せではなく、

その先にある得体の知れない精神的な何かを会得するための手段」だとする主張だ。

 

彼らは「家庭を築いて、子育てをすれば人として成長する」だとか講釈をたれるが、

それは目的なのか?人として成長して何を成し遂げるのか?

それは現世における自身の幸せに直結するのか?

ここまで書くと、もはや宗教染みてくるが、

幸せならば、なぜ成長した人間からこんなにも不平不満が溢れ出るのだろう?

 

簡単な解決策を提言したい。

 

幸せと思うことをすればいい。

 

価値観の多様化が受け入れられつつある現在、

ステレオタイプな幸せというゴールは果たして存在するのだろうか?皆が同じゴールを目指すべきなのか?

かれこれ言い訳をせずに、家庭を築いて、子育てをすることが幸せだと思うならば、それをすればいい。

当然、逆も然り。周りに流されて結婚しなくてもいい。独身で幸せならば、独身を謳歌すればいい。

 

 

少子化の真の原因が見えてきたのではなかろうか?

自分の中の当たり前が他人の当たり前でないことに気づくことは至難の業だ。

 

これが原因で業務でトラブルが発生することが多々ある。

 

ただいま当組織では、大きなプロジェクトを請け負っており、手の回らない

一部の業務を外部業者に委託している。

 

その外部業者のSさんから連絡が入る。

 

Sさん「当社が担当している、お客様Eさんと、Mさんに原稿の確認をしていません。

貴社の担当しているお客様Lさんから、原稿の確認が進んでいる。との話を聞いたのですが。。。」

 

私「この間の打合せで、そういう流れになってたよね?」

 

Sさん「そのような話は全く聞いていません。指示を下さい。」

 

こうなっては、言った言わないの水掛け論になってしまう。

一つ確実なのは、明確な指示としてSさんには伝わっていなかったという事実だけだ。

 

たとえば、報告書にしろ、議事録にしろ、雑談のような話は文章化しないだろう。

そう、人によって、組織の慣習によって、重要事項を抽出するためのフィルタの粒度は異なるのだ。

 

相手に伝わらなければ、自分の方法論に固執しても仕方ないのである。

サブリーダーとして、組織の裏方として、孤軍奮闘していた私としては陥りがちな罠だった。

 

本来であれば、誰にでも伝わる方法を用いたうえで、確認を怠るべきではなかった。

基本的なことだが、

ねぎらいの言葉、感謝の気持ちを部下に伝えると

部下のモチベーションは高まる。

 

リーダーも例外ではない。

部下や先方様に、ねぎらいの言葉をかけてもらったり、

感謝の気持ちを伝えてもらえれば、

そりゃ、うれしいものだ。報われた気持ちになる。

 

しかしながらどうだろうか?

己が身に降りかかって初めて実感することがある。

 

感謝の気持ちを忘れていないだろうか?

 

いつなんどきも

 

教師ならば、人格者であって当たり前。

医師ならば、患者を治して当たり前。

警察官ならば、市民を守って当たり前。

自衛官ならば、有事の際に国民を守り救うのは当たり前。

 

組織のリーダーならば。。。

 

どうやら、元リーダーが私に求める理想は高いらしい。

リーダーたるものかくあるべき。べき論は甘んじて受け入れるが、

努力しても、当たり前のようにさらに求められる。

 

これでは、モチベーションは上がらない。

例えば、、あなたが取引先から5段階で5の答えを引き出したいとする。

 

2+3=5

 

と、策を練るが、満額の答えを得られなかったとする。

もし、あなたなら、あわてて妥協し

 

2+2=4

 

と、策を練り直すだろうか。私は、そうだ。

そんな私を見かねて、古参のメンバーが助言をくれた。

 

1+4でも5だろうよ。

もう少し、粘ってみたらどうだ?

 

2+3で5の答えを得ることができなければ詰みだと思って絶望するのは

早いということだ。

 

別の機会に1+4の提案をもっていけばよい。

 

策に溺れるな。リーダーは完璧である必要はない。

失敗をさらけ出せば、仲間が手を差し伸べてくれる。

絶望するより多少の恥をかくべきじゃないか?


大型案件では、多くのビジネスパートナーに同じ企画書をプレゼンして廻ることになる。

 

私はプレゼン資料を漏れなく、かっちり作り込む。

更に、自分用の資料にはフォントの色を変えて、

質問内容を想定したFQAや段取りも書き込む。

 

まぁ、準備万端でプレゼンに臨むのは当然だろう。

 

そして、進行がカッチリはまると気持ちが良いものである。

 

ただし、たとえ同じ内容のプレゼンであったとしても万事が上手くいくケースは

実は稀であり、イレギュラーは付きものだ。

 

先方様の顔色をうかがって、資料に目を落とすと、

作り込んだ資料であればあるほど、

何処まで説明したのか見失ってしまったり、

 

先方様の都合でプレゼン時間が予定の半分以下。

早口の説明で資料をなぞり、先方様を置き去りに。。。

 

これらは全部、最近私が経験した失敗談だ。

 

元リーダーの下で活動していた頃は

プレゼン資料や企画書を作成する裏方に徹していた。

そんな訳だから、表舞台に立つのは素人も同然だ。

 

テンパると心身ともに相当なダメージをうける。

 

この体験から得られた教訓は、

 

企画書があれば先方様はあとで十分に事業ついて、理解することが可能であり、

重要なのは、先方様はその事業に対して何をすればよいのかを知りたがっている

ということ。それを前提として。

 

以下のようなカンペを使ってプレゼンする。

 

①カンペは企画資料でなく台本。

②企画書を参照するように促すことで、企画書の内容を網羅する。

③基本的に口語調。

④句読点(、。)は、一呼吸で完結する歯切れのよい場所に打つ。

 

あくまでも、プレゼン素人の視点からのアドバイスだ。