岸田首相が異次元の少子化対策を標榜してから、

家庭や育児に関する議論がワイドショーで白熱している。

 

やれ、子育てにはお金がかかる

やれ、企業は男性に育休を積極的に取らせるべきだ

やれ、育児や家事は夫婦で分担すべきだ

 

昭和の時代から、家庭を築いて、子育てをすることがステレオタイプの幸福像としてひたすら喧伝されてきた。

(ステレオタイプというのは、個人の感想ではないということ。)

 

本当にそれが幸せなら、あらゆる犠牲を払っても、なぜ不平不満が噴出するのだろう?

 

本心か、強がりか、選択を肯定するための方便だかは知る由もないが、こういう主張も散見される。

「家庭や育児は目指すべき幸せではなく、

その先にある得体の知れない精神的な何かを会得するための手段」だとする主張だ。

 

彼らは「家庭を築いて、子育てをすれば人として成長する」だとか講釈をたれるが、

それは目的なのか?人として成長して何を成し遂げるのか?

それは現世における自身の幸せに直結するのか?

ここまで書くと、もはや宗教染みてくるが、

幸せならば、なぜ成長した人間からこんなにも不平不満が溢れ出るのだろう?

 

簡単な解決策を提言したい。

 

幸せと思うことをすればいい。

 

価値観の多様化が受け入れられつつある現在、

ステレオタイプな幸せというゴールは果たして存在するのだろうか?皆が同じゴールを目指すべきなのか?

かれこれ言い訳をせずに、家庭を築いて、子育てをすることが幸せだと思うならば、それをすればいい。

当然、逆も然り。周りに流されて結婚しなくてもいい。独身で幸せならば、独身を謳歌すればいい。

 

 

少子化の真の原因が見えてきたのではなかろうか?