「絶体絶命のピンチを起死回生のチャンスにし、道を拓く」方策を、人は求める。
試練の中から、全く新しい心境になった先人たち。
バビロン捕囚で、預言が変わったエレミヤ、エゼキエル。神の言葉預かりし者として、虚しくこだますることなく、希望を謳(うた)った新たな契約を預言した。
要因は、外部にあるのではなく、内側にある。「新たな統治者を打ち立てなければいけない」とは、代わる新たな指導者を指すというより、革(あらた)まる。
新たな自分を、あなたの人生に新たな人生の統治者を生み出しなさい。
天は、人間の代表者に統治を任せる。その人間が堕落すると天は人を改める。
王、為政者に進言し、王朝終焉、新たな王を立てることも、旧約の預言者は、やってきた。
だが、「国破れて山河在り。兵(つわもの)どもが夢が跡」の状況において、
君ら(異国の支配者)にとってはガラクタに過ぎないが、宝(タルムード、モーゼの律法、ユダヤ教の要)を携えて、囚われの身になったエレミヤ。
哀歌、嘆いていたその自分では、預言活動の変曲点は越えられない。屈服していては、未来に希望はない。限界をつくっていた心を転換し、別人に生まれ変わる。
慣れ親しんだ古い自分から、新たな自分と統治者交代。
「外側の危機」ではなく「内なる心の転回」が道を拓く
イザヤなどが預言してきたバビロン捕囚という「まさか」に直面し、エレミヤやエゼキエルが活動したのは、外部状況が変わらないまま、預言が劇的に変わるといった歴史的な出来事でした。
国は滅びた、神殿も失われた、民族の誇りも崩れた。
それでも「新しい契約」「新しい心」「新しい霊」を語り始めた。エゼキエルはイスラエルの罪を背負い、横たわり動かなかった。
目標があるから、障害が現れる。と聞いたことがある。目標を立てると、それを阻害するものが見えてくる。
言葉を変えれば、願いがあるから試練がある。
フロイトは、過去に原因を見出そうとする傾向があり、アドラーは、未来に向けての具体的な行動を提案しているような気がする。
「願いがあるから試練がある」これはアドラー心理学にも近いですね。
フロイトは、原因は過去にある。アドラーは、目的は未来にある。両者は対立するものではなく、人間の内側にある要因を「見える化」するための二つのレンズでもある。
ビジネスでは、見えるものを相手にし、そうでないものは…
それに対して、人間は千差万別だから共通項、定理、要因を積み上げられないとか、あるんだけどね~、今は両者とも不可分のものとなってきているような気がする。
「最善の計画」は固定されたものではなく、状況に応じて、その都度、設定し直す。期中修正。
その場に満ちる気分、それに携る人の温度差、予期せぬ出来事、自分の心境の変化。
状況が変われば、目指すものは変わってゆく。そのとき、最善の計画、最善の方法を目的地、ゴールと呼ぶ。
旧約の預言者たちが預言した「主なる神の言葉の再解釈」とも重なり、ビジネスや心理学の変化に柔軟に対応する「アジャイル思考」にも似ています。
人はいかなる時でも、自らの内側に新しい統治者を生み出すことができる。いつでも自分を新たに立て直すことができる。
様々な出来事、人生の経験によって、状況が変われば、目指すものは変わってゆく。
そして、今日一日にも、訪れる出会いにも出来事にも、取り組んでいる仕事にも、抱えている問題にも願い、イデアがあります。あるかないかもわからない答えを探すのではなく、私たちは必ず、存在する解答、神意に叶う、本来あるべき姿を探し続け、それに近づこうとするのです。
祈りだけでなく、人は、自由意志を持ち、一切の権能を委ねられている。
向かう道をあきらめてはならない。めざす場所、求める理想は、どんなに遠く困難でも。
