ローマ時代(紀元前63年~紀元135年)
第25章 ローマ帝政誕生と永遠を石に刻もうとした大王
翌年、紀元前29年、ヘロデ大王は素早く動いた。敗れたアントニウスに仕えていたが、勝者オクタヴィアヌスの前へ出た。危険な賭けだった。
ヘロデ大王は膝をつき、勝者オクタヴィアヌスへ忠誠を誓った。
「私はアントニウスに忠実でした。しかしこれからは同じ忠誠を今度はあなたに捧げます。」
若きローマの支配者は笑った。「お前は忠実な男だ。」その率直さを気に入ったのである。王位はそのまま認められた。こうしてヘロデ大王はローマ皇帝となる男の後ろ盾を得た。
後にオクタヴィアヌスは「アウグストゥス」(BC27-AD14)の称号を受け、ローマ帝政の初代皇帝となった。
かつてない権力を手に入れたヘロデ大王は建設に力を入れた。宮殿や劇場を建て、港を造り、要塞や砦を築き、各地に数々の都市を建設した。
父アンティパテルの名を冠したアンティパトリス、兄ファサエルを記念したファサエリス、エリコに置かれた冬の離宮を新築した。
さらに、エルサレム、セバステやカイサリアを整備し、マサダ、マケルス、ヒルカニア、アレクサンドレイオン、そして自らの名を刻んだヘロディウムを改築した。
荒野にも山にもアグリッパ砦を改築し、巨大な要塞が姿を現した。
紀元前19年、ヘロデ大王は最大の事業に着手した。エルサレムの神殿大改築である。ソロモン神殿以来とも言われる大規模な工事であり、途方もない規模で増築された。神殿の丘は拡張され、巨大な石積みを築き、白い大理石と黄金で飾ったエルサレム神殿の白い石は朝日に輝き、黄金の装飾は遠くからでも輝いて見えたという。民は驚嘆した。旅人たちは讃えた。
「世界で最も美しい神殿だ。」
ヘロデは嫌われた王だった。イドマヤ人であり、ローマ派、王位簒奪者と見られていたからであった。しかし誰もがその建築の壮大さを認めざるを得なかった。
後に弟子たちがイエスに
「先生、御覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。」(マル13:1)
と言ったのも、このヘロデ大王が建てた神殿だった。
そして数十年後、彼が築いた壮麗な神殿の時代に、ベツレヘムのダビデの町で1人の幼子、ナザレの大工ヨセフとマリアの子が生まれた。後にナザレのイエスと呼ばれる。イスラエルの小さな村から始まった喜びの福音のメッセージは世界を変えようとしていた。
マタイ福音書によれば、ヘロデ大王は不安に駆られたという。東方から博士たちが来て、彼らは尋ねた。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」(マタ2:2)
この言葉はヘロデにとって最悪だった。彼自身はローマに王にしてもらった人間だった。ダビデの子孫でもない。ヘロデが恐れたのは救い主ではなく、王位だった。そのためベツレヘムとその周辺の男児を殺すよう命じたとマタイ福音書は伝えている。
第26章 大王死す 分けられた王国の遺産を受け継ぐ者
ハスモネア家の婿となったが、ヘロデ大王は晩年になるほど猜疑心を強めていた。
妻マリアムネ、義母、義弟、ハスモネア家の王子たち、息子たち、親族、有力者。王位を脅かすと疑った者たちを次々と処刑した。
もはやセレウコス王朝の王宮と変わらない。かつてのセレウコス王朝の妃ラオディケやハスモネア王家の陰謀が、ヘロデ大王の宮廷でも繰り返された。
紀元前4年、ヘロデ大王は世を去った。ヘロデ大王は死の直前まで何度も遺言を書き換えた。息子たちを処刑したり廃嫡したりしたためである。猜疑と栄華に満ちた大王の生涯は終わった。ヘロデ大王の遺言をローマ皇帝アウグストゥスが承認し、ヘロデ大王が築いた領土は3人の息子、分国王に分割された。統一王国の継承ではなかった。ローマ皇帝アウグストゥスの承認によって与えられた支配権にすぎなかったのである。
アルケラオ(BC4ーAD6)はサマリアとユダヤとイドマヤ(エドム)を治めた。紀元6年後、ローマ総督下に置かれた。
ヘロデ・アンティパスはガリラヤとペレアを治めた。後に洗礼者ヨハネを処刑した人物である。洗礼者ヨハネはヨルダン川で悔い改めを説いた。民は預言者エリヤの再来だと噂した。洗礼者ヨハネは恐れなかった。王にも罪を指摘した。
アンティパスは兄弟の妻ヘロディアを迎えていた。洗礼者ヨハネはそれを非難した。怒った妻ヘロディアは洗礼者ヨハネを憎んだ。ある日の宮廷の宴、ヘロディアの娘が舞を舞う。後代の伝承ではサロメと呼ばれる少女である。王は喜んだ。
「望むものを与えよう。」
少女は母に相談する。そして言った。「洗礼者ヨハネの首を。」
宴の広間は静まり返った。しかし王は約束を反故にできなかった。
フィリポ(フィリポス)は北東地域、ガウラニティス、バタネア、トラコニティス、アウラニティスを統治した。
大王の姉サロメには遺産として、アゾト、ヤムニア、ファサエリスが与えられた。
クムラン教団再興、だが神殿はなお立ち、巡礼者はなおエルサレムへ上り、人々はなお救い主を待ち望んでいた。
マタティアがモデインで剣を取ってから約160年後、ハスモネア王家もセレウコス王朝も過去のものとなり、ヘロデ大王の時代も過ぎ去ろうとしていた。ヘロデ大王は古い革袋の王であった。巨大な宮殿、壮大な神殿、権力、陰謀、処刑。ローマとの同盟ですべてを手にした王だった。
その王の治世に、ベツレヘムの小さな村で1人のみどりごが生まれる。王宮ではなく家畜小屋で。軍隊ではなく羊飼いたちに囲まれて。
ヘロデ大王は石で神殿を築いたが、イエスは人々の心の中に神の国を刻印した。預言者エレミヤが預言した通りに成就したのである。イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、マラキ。そして洗礼者ヨハネ。預言者はメシア預言をした。
ペルシア帝国の終わり頃、マケドニアのアレキサンドロス大王のヘレニズム時代から、預言者マラキ以後、旧約に記される預言者は現れなくなる。だが、名もなき預言者たちがいたと云われる。旧約の預言者の系譜は洗礼者ヨハネで終わった。
ヘロデ大王が築いた壮麗なエルサレム神殿の時代に、ローマ初代皇帝アウグストゥスが地中海沿岸を支配する時代に、新約聖書の物語は始まるのである。
第27章 主の道を整える者 荒野に叫ぶ者の声
カトリックでは、旧約の預言者の1人とされる洗礼者ヨハネ。洗礼者ヨハネとイエスについて、述べる。
洗礼者ヨハネは荒野で生活し、悔い改めを宣べ伝えた。らくだの毛衣をまとい、いなごと野蜜を食べたと福音書は伝える。洗礼者ヨハネは来たるべき神の裁きを語り、人々に悔い改めを求めた。
イエスも洗礼者ヨハネもエッセネ派の影響を受けた。エッセネ派は、敬虔で信心深い「ハシディーム」によって構成され、エリート意識が強く、闘争的で厳しかった。神殿も汚れているから、神殿で典礼を行わず、主流派(サドカイ派)も粛正しようとし、「イスラエルの民」は聖なる民で、異邦人(ローマ人)を追放しようとした。エッセネ派が独身をつらぬいた理由にエッセネ派が軍隊的教団であったことが考えられる。しかし、すべての計画は挫折した。理想が極端過ぎて、砂上の楼閣だった。
禁欲的な人に闘争的な人が多いように感じられてならない。人間は、まず、欠乏感がある程度満たされないと円満な人間的成長は難しいといわれる。自分の欠乏要求が一応満たされることによって、他人の欠乏要求に関心を寄せることができる人間になれる。
自分が癒されないと人を癒すことができない。自分の欠乏感に悩まされ、その空洞を埋めようとして、自己中心的傾向を強めていくこともありうる。
洗礼者ヨハネは人間関係に執着しないようにしていた。エゴも抑え、感情も自分のこととなるとこらえた。厳しく、性格は激しかったが、自制心は強かったと言える。むしろ、洗礼者ヨハネには話が分かるだけの分別があり、賢かった。イエスさまに任せられた。洗礼者ヨハネは努めて謙虚であろうとしたが、エリヤ、モーセと同じく強烈なカリスマがあった。
しかし、いつも別れを意識し、散っていく美学もモーセ、エリヤと同じく持ち合わせていた。「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない」(ヨハ3:30)
禁欲がかえって自己に執着することがある。洗礼者ヨハネは心を乱すことがないように女性から離れていた。人間ですから疎開感や寂しさは感じたが、我が身楽ならば情欲に愛着すと、パンや葡萄酒も口にしなかった。断食すると、体が欠乏を補おうとして、生命力がかえって強まるという。おそらく、洗礼者ヨハネはこうした潜在するエネルギーが引き出され、霊感が強く、荒野で叫んだのだろう。
こうした洗礼者ヨハネの生き方が早すぎる死を招いたように思えてならない。
洗礼者ヨハネはスキを見せなかったので、人との間に緊張状態が生じ、本当の意味での心を開いた関わりができなかった。
イエスと、洗礼者ヨハネとの違いは何だろう。
それは洗礼者ヨハネが自分を守ることが動機だったのに対し、イエスは隣人愛を動機とされたからである。
洗礼者ヨハネのもとに集う人は悔い改めの洗礼を受け、道徳的正義があった。その中にとどまるのは、ある意味で安全であろう。
しかし、人々が生きている世界には煩悩の渦が渦巻いている。それに触れれば、煩悩も疼いてくる。肉体と魂が葛藤し、身動きがとれなくなるかもしれない。
そこに赴いて、福音を宣べ伝えたり、苦しんでいる人を救ったりするということは大変難しい。でも、そこが人々の生きている世界、現実なのだ。あえて使徒職は、清流にではなく濁流に身をおくのだ。
初代教会の柱であったペトロもパウロも罪を犯した弱き弟子であった。ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた(ヨハ20:19)が、聖霊が下り、(降臨祭)戸を開き、ペトロは外に出て説教を始めました。イエスはペトロに「わたしを愛しているか」と聞き、「わたしの羊を飼いなさい」(ヨハ21:17b)と言われました。
神を愛することは、兄弟を愛すること(隣人愛)でもある。翼が折れても人を救うのが天使である。
サタンに勝つということは、受け入れることである。意志の強さでサタンを退けるというよりも、「右のほおを打たれたら、左のほおを出せ」とポジティブに自分を開き、本当に愛すること、ゆるすことをイエスは身をもって示された。イエスはゆるしの中で十字架にかかられた。
イエスさまには、自分の中から泡のようにボコボコと湧き出てくる愛のエネルギーがあり、溢れてきた。それを人に与えたいと望まれた。人々がイエスを慕うよりも、心からの愛をもって一人一人を慈しまれたイエス。人が好きでいつも人々と一緒にいたかった。神といるように人と一緒にいたかった。お顔の下にイエスの微笑みを見る。
イエスと洗礼者ヨハネの大きな根本的な違いは、洗礼者ヨハネは断食したが、イエスはよく会食をされたということである。
イエスが言う愛はアガペー。自らを開き、与える愛で、縛られていない、解放されていて喜びがある。
ヨハネの洗礼の時、「私の愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から響いてきた。
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