現生人類は、ネアンデルタール人よりも社会集団の規模がわずかに大きく、わずかに生存能力が高かったおかげで、こうした過酷な条件下で生き延びたのかもしれない。ほんのちょっとの差が「極端な気候変動の中で、両者の命運を分けたのでしょう」とストリンガーは話す。

 となると、一つの疑問が残る。ネアンデルタール人から現生人類への交代劇は、ゆっくりとした平和的なものだったのか、それとも比較的短期間に起こった敵対的なものだったのか。

 「ほとんどのネアンデルタール人と現生人類は、生涯の大半を通じて、直接顔を合わせることはなかったでしょう」と、ユブランは慎重に言葉を選ぶ。 「居住域の境界近くでは、遠くから互いの姿を見かけることもあったと想像されます。その場合、互いに相手を避けるだけでなく、排除しようとした公算が高い と思うのです。近年の研究によれば、狩猟採集民は、さほど平和的ではなかったようですから」


最後の痕跡

 ジブラルタル半島の突端にある石灰岩の崖、通称「ジブラルタルの岩」には、ネアンデルタール人が暮らした巨大な洞窟がある。ジブラルタル博物館の進化生物学者クライブ・フィンレイソンの案内で、そのゴーラム洞窟に入った。

 海に面したこの洞窟には、ネアンデルタール人が12万5000年前から生活した跡があちこちに埋まっている。石製の槍の先端や、削る作業に使われ た石器(削器(さっ き))、炭化したマツの実、たき火の跡などだ。2年前、フィンレイソンらは放射性炭素による年代測定法で、たき火跡に残された炭を調べ、いくつかは2万 8000年前のものであることを突き止めた。知られている限りでは、ネアンデルタール人が残した最後の痕跡だ。

 フィンレイソンは、花粉や動物の骨などから、5万~3万年前の環境を推定した。当時、ジブラルタルは砂地に囲まれ、洞窟は地中海から3、4キロ離れてい た。一帯は、ローズマリーやタイムが生える草原地帯で、砂丘のところどころにコルクガシやイタリアカサマツなどの木が立ち、浜辺にはアスパラガスが生えて いた。

 しかし、やがて風景は一変する。3万~2万3000年前、氷期の寒冷化の影響がイベリア半島南部まで及び、このあたりは低い草が生えているだけの 半乾燥地帯となった。こうした視界が開けた場所では、ずんぐりとした筋肉質のネアンデルタール人よりも、投げ槍をもつ、長身で細身の現生人類のほうが、動 き回るのに有利だったのかもしれない。

 しかし、イベリア半島のネアンデルタール人を絶滅に追い込んだのは、現生人類の進出よりもむしろ、気候の劇的な変化だったはずだと、フィンレイソ ンは話す。「小集団の生き残りが10人まで減ってしまえば、3年ほど厳しい寒さが続くか、地すべりが1回起きただけで滅びてしまうでしょう」

 滅亡のシナリオがどんなものであれ、ゴーラム洞窟には、その後の展開を物語る“署名”が残されていた。最後のたき火跡にほど近い、洞窟の奥のほうで、フィンレイソンらは最近、岩壁に残された赤い手形を見つけた。現生人類がジブラルタルに進出してきた証拠だ。

 色素の分析は終わっていないが、これまでの結果から、手形は2万300年~1万9500年前のものと推定されている。「新たな時代の幕開けだ - この手形を見ると、私たちの祖先が、そう高らかに宣言しているかのようです」



わずかな差が命運を分けた

 技術や社会構造、伝統文化といった、集団生活から生まれる要素は、厳しい環境の影響を和らげて、集団の生存力を高めると考えられている。ネアンデルタール人の社会は、この点でも、私たちとは異なっていたかもしれない。

 たとえば、アフリカから移動してきた現生人類の集団では、男が大型の獲物を追って狩りをし、女や子どもは小動物をつかまえ、木の実や植物を採集す る分業が成立していた。アリゾナ大学のメアリー・スタイナーとスティーブン・クーンによれば、こうした効率的な狩猟採集の方法が、食生活を多様にしていた という。

 一方、ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生 活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかって いないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

 ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子ど もも狩猟に駆り出されただろう。腕や頭の骨に折れた跡が多く見られることから、狩りは「荒っぽく危険な仕事」だったと、スタイナーらは論文で述べている。

 片や、現生人類は集団内で分業が成立し、食生活が多様化していたので、リスクを分散できたはずだと、スタイナーは語る。「そのおかげで、妊婦や子どもが守られたのです」

 社会集団の規模も重要だった。古人類学者のトリンカウスによれば、ネアンデルタール人の社会単位は、3世代が集まった大家族ほどの規模だったという。そ れに対して、欧州で発見された初期の現生人類の遺跡の中には、「もっと大規模な集団だったことを示す遺跡が見つかっている」と、彼は話す。

 集団が大きくなると、その中の人々にも社会生活にも影響が出てくる。必然的に人と人とのやりとりが増え、成長過程で脳の働きが活発になる。こうし た状況は、言語の発達を促し、間接的には平均寿命の伸びも促すことになる。長寿になれば、世代間で知識が伝承される機会が増え、生き延びる知恵や、道具づ くりの技術が、ある世代から次の世代、さらにはある集団から別の集団へと伝えられるようにもなる。

 ロンドンの自然史博物館のクリス・ストリンガーによれば、ネアンデルタール人が絶滅した頃は、欧州の気候が最も厳しくなった時期にあたる。過去の 気候の調査で、およそ3万年前から、氷床の範囲が最も拡大した1万8000年前頃までの間に、地球の気候がめまぐるしく変動したことがわかっている。とき には、わずか数十年の間に気温が極端に変化した。



歯の“年輪”から成長過程を探る

 2007年10月、仏グルノーブルの欧州シンクロトロン放射施設(ESRF)に研究者が集まった。目的は、ネアンデルタール人の生活史をめぐる大 きな謎を探ることだ。彼らは現生人類よりも早く成年に達したのか。もしそうなら、脳の発達にも違いがあるかもしれないし、絶滅の原因解明に役立つかもしれ ない。その成長過程を知る手がかりは、歯に秘められている。

 歯の撮影には、ESRFにある「シンクロトロン型粒子加速器」を使う。粒子を加速させるリングの円周が1キロ近くもある、世界最大級の加速器だ。これを使えば、貴重な試料は無傷のまま、X線で骨の内部構造を詳しく解析できる。

 マックス・プランク研究所のユブランとターニャ・スミスは、コンピューターがずらりと並ぶ観測室で、画面に映し出される歯の画像に目をみはった。 撮影しているのは、ル・ムスティエ遺跡で出土した若いネアンデルタール人の右上の犬歯(けん し)だ。そばの棚では、これから撮影される試料が出番を待っ ていた。クロアチアのクラピナで発見された13万~12万年前のネアンデルタール人の少年の顎骨(がっ こつ)2個、フランスのラ・キーナで発見された7 万5000~4万年前のネアンデルタール人の若者の頭骨、そしてイスラエルのカフゼー洞窟で見つかった、歯がすべて残っている9万年前の2体の現生人類の 骨だ。

 高解像度のX線画像で歯の内部を見ると、ちょうど木の年輪のように、歯の日々の成長と、より長期的な成長を刻んだ複雑な線が立体的に見える。この 成長線を見れば、一生の中で大きなストレスを受けた時期がわかる。たとえば、出生時のストレスは、鋭い「新産線」としてエナメル質に刻まれる。乳離れの時 期や、栄養不足などの環境ストレスも、成長中の歯にはっきりした痕跡を残す。

 「歯には、胎児から思春期を経て成長が止まるまでの、継続的な成長の記録が残されています」とスミスは説明する。人間はチンパンジーよりも、性的 に成熟するまでに長い年月がかかる。何百万年も前にアフリカの草原地帯に暮らしていた化石人類は、私たちよりもチンパンジーに近く、早く成年に達した。人 類の進化の歴史で、今のように成熟年齢が遅くなったのは、どの時点のことなのだろうか。

 この疑問を解き明かそうと、スミスらはモロッコのジェベル・イルード遺跡で出土した初期の現生人類の子どもの歯(約16万年前)をシンクロトロンで調べ たことがあった。結果は、現代人と同じ成長パターンを示した。これとは対照的に、ベルギーのスクラディナ洞窟で見つかった10万年前のネアンデルタール人 少年の歯には、この少年が8歳で死んだこと、死ななければ、現代人の平均よりも数年早く成年になっていたことを示す痕跡が認められた。一方で、ほかのネア ンデルタール人の1本の歯を調べた別の研究チームは、現生人類と成長パターンの違いは認められなかったと報告している。

 今回スミスらが撮影した画像の解析は完了していないが、現段階では、スクラディナ洞窟のサンプルと矛盾しない結果が出ているそうだ。

 成年に達する時期が早いということは「ネアンデルタール人の社会集団の構造、生殖や子育ての行動に確実に影響を与えます」と、ユブランは話す。「現代人の平均よりも4歳早く子どもをつくる社会を想像してみてください。今の社会とはかなり違うはずです」