わずかな差が命運を分けた

 技術や社会構造、伝統文化といった、集団生活から生まれる要素は、厳しい環境の影響を和らげて、集団の生存力を高めると考えられている。ネアンデルタール人の社会は、この点でも、私たちとは異なっていたかもしれない。

 たとえば、アフリカから移動してきた現生人類の集団では、男が大型の獲物を追って狩りをし、女や子どもは小動物をつかまえ、木の実や植物を採集す る分業が成立していた。アリゾナ大学のメアリー・スタイナーとスティーブン・クーンによれば、こうした効率的な狩猟採集の方法が、食生活を多様にしていた という。

 一方、ネアンデルタール人は、イスラエル南部からドイツ北部までの遺跡調査で、ウマ、シカ、ヤギュウなど、大型から中型の哺乳類をとらえる狩猟生 活にほぼ完全に依存していたことがわかっている(地中海沿岸では貝も食べていた)。植物も少しは口にしたようだが、植物を加工して食べた痕跡が見つかって いないことから、スタイナーらは、ネアンデルタール人にとって植物は副食にすぎなかったとみている。

 ネアンデルタール人のがっしりした体を維持するには、高カロリーの食事が必要だった。特に高緯度地方や、気候が厳しさを増した時期には、女や子ど もも狩猟に駆り出されただろう。腕や頭の骨に折れた跡が多く見られることから、狩りは「荒っぽく危険な仕事」だったと、スタイナーらは論文で述べている。

 片や、現生人類は集団内で分業が成立し、食生活が多様化していたので、リスクを分散できたはずだと、スタイナーは語る。「そのおかげで、妊婦や子どもが守られたのです」

 社会集団の規模も重要だった。古人類学者のトリンカウスによれば、ネアンデルタール人の社会単位は、3世代が集まった大家族ほどの規模だったという。そ れに対して、欧州で発見された初期の現生人類の遺跡の中には、「もっと大規模な集団だったことを示す遺跡が見つかっている」と、彼は話す。

 集団が大きくなると、その中の人々にも社会生活にも影響が出てくる。必然的に人と人とのやりとりが増え、成長過程で脳の働きが活発になる。こうし た状況は、言語の発達を促し、間接的には平均寿命の伸びも促すことになる。長寿になれば、世代間で知識が伝承される機会が増え、生き延びる知恵や、道具づ くりの技術が、ある世代から次の世代、さらにはある集団から別の集団へと伝えられるようにもなる。

 ロンドンの自然史博物館のクリス・ストリンガーによれば、ネアンデルタール人が絶滅した頃は、欧州の気候が最も厳しくなった時期にあたる。過去の 気候の調査で、およそ3万年前から、氷床の範囲が最も拡大した1万8000年前頃までの間に、地球の気候がめまぐるしく変動したことがわかっている。とき には、わずか数十年の間に気温が極端に変化した。