骨董亭如庵 第43回 | michael-thのブログ

michael-thのブログ

ブログの説明を入力します。

 今夜は、商業こけしのことを考えてみたいと思います。私たちの年代ですと、タンスの上にガラスケースがあり、その中には、観光地で買ったこけしが”乱立”していたりした記憶があります。しかし、そういったこけしは今は姿を消しています。
 ここでいうこけしは東北地方の伝統こけしとは違い、”商業こけし”といわれるようです。そうした商業こけしでも、”黒んぼこけし”(差別的意味はありません、あしからず)や鉛筆型のこけしなどは、それを専門に集めている方もいるようです。
 私が、商業こけしに関心を持ったきっかけは、去年のことです。大江戸骨董市で、タイ人の観光客が、プラスチックの箱に入った商業こけしを楽しそうに見ていたからでした。そのことはいつかのブログで書きました。
 「はて、これは何なんだろうか?」というのが最初の疑問でした。伝統こけしが、今、外国人の間でブームだとは聞いていました。ろくろの技術を駆使し、顔の表情も着物の衣装も様々に描かれた伝統こけしは立派な民芸品でしょう。しかし、私が関心をもったのは、そうではない、〇〇温泉とか観光地の地名が書かれたベタなこけしでした。そして、幼いころの冒頭の風景を思いだしていたのでした。今は、観光地に行っても、その土地の名産品をお土産に買って帰りますが、それらは主にお酒やお菓子などです。「ご当地キティちゃん」とか、ゆるキャラ関連グッズはありますが、あのベタなこけしはありません。
 あれこれ、調べる中でたどりついた言葉が”商業こけし”でした。そして、たぶん、一番詳しいのは昭和44(1969)年に発行、今は絶版になった保育社カラーブックスの山中登さんという方が書かれた「こけし」でしょう。伝統こけしから、近代こけし、さらに大量生産された商業こけしまで、それぞれの歴史、種類などが詳しく書かれています。この本によれば、商業こけしは、宮城県の遠刈田温泉のダンゴこけしがルーツだといいます。その一方で小田原には箱根の挽物細工でしょうか、その熟練した挽物細工の職人たちがいて、昭和22(1947)年から昭和44(1969)年まで数万種類の商業こけしを作ったといいます。また、昭和44年には小田原、前橋、米沢で盛んに作られたいたといいます。
 数年前に箱根の強羅温泉に行ったときに、箱根登山鉄道の強羅駅前に並ぶ数軒の土産物店の中に、民芸品などしか置いていない店がありました。私は小さな七福神が俵にささったお土産を買ったのですが、店の方に、どこで作ったものか聞いても、教えてくれませんでした。商業こけしがあったかどうかの記憶は曖昧です。
 昭和44年当時、商業こけしを作っていた前橋は、周囲に商業こけしを売っていそうな温泉地が多いからかなと推測できます。また、米沢でしたら、伝統こけしも作っている土地柄なのかと推測します。
 さて、商業こけしは、作りは一緒でも、地名だけ変えているようなこけしもありますが、私が面白いと思ったのは、露店風呂を竹細工だけで表現したものです。湯船には、直径5ミリほどの頭だけの男女が見えています。あるいは、その土地でとれたとおぼしき石を組み合わせたもの、ここにも、高さ1センチ足らずのペアのこけしが立っています。さらには、木の曲線をいかして、女性の体を表現したお色気たっぷりの商業こけしもあります。
 伝統こけしに加えて、商業こけし、さらには創造こけしというジャンルもあります。商業こけしの技術をもった職人さんが、芸術をめざしたのでしょうか。しかし、その創造こけしの入った箱に総理大臣賞受賞などと書かれていると、つい手が出てしまいます。悪しき権威主義でしょうか?
 
 昭和44年以降は、商業こけしはどこへ消えていったのでしょうか。あれから50年近くたちます。まだ、小田原あたりに行けば、作っていた方はお元気かもしれません。
 また、時代的には、昭和22年は、まだ戦争の傷跡は癒えていませんが、昭和30年代以降、日本は高度成長の時代に入ります。しかし、外国旅行するまでの時間的・経済的余裕はない、「トリスを飲んでハワイに行こう」というコマーシャルが流行ったのは、たしか昭和30年代かと思います。そこで国内旅行をしたのかと思います。お土産というのは日本独特のものだといいます。そこでお土産をといっても、お菓子などのお土産は日持ちがしない、そんな中で、盛んに観光客が買っていたのが商業こけしではないのかと思います。とすれば、商業こけしが、ある時代を象徴していたということになります。たかが商業こけし、されど商業こけし、といったところでしょうか。

如庵