骨董亭如庵 第44回 | michael-thのブログ

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 今日は11月11日と一並びの日。そして私のブログは第44回目と、四並びの日。だから何なんだと、ツッコミがはいりそうですね。
 さて、今夜は郷土玩具についてです。私が、なぜ郷土玩具に魅せられたのか、はっきりしませんが、たぶん、中学生時代に近所の本屋さんでたまたま手にとった保育社のカラーブックス「日本の郷土玩具」がきっかけです。一目惚れだったのかもしれません。この本を調べてみると、初版は1962年といいますから、昭和37年、そのころ、私は8歳の小学生、したがって、私が手にいれたのは、判を重ねたあとかと思います。探してみたのですが、いつの間にかなくしてしまったようで、発見できませんでした。私の中学生時代から高校時代は、国鉄の「ディスカバー・ジャパン」、あるいは「明治100年」が昭和40年代初頭でしたが、そうした日本回帰の風潮の中に私もいたのだと思います。保育社の「日本の郷土玩具」の著者は、地質学者の木下亀城さんと篠原邦彦さんです。地質学者として日本各地を歩く中で、自然と郷土玩具に関心を持ち、収集する中で、この本が誕生したようです。
 ところで、郷土玩具と何気なく、私たちは言っています。玩具はおもちゃという意味ですが、郷土という言葉は結構、不思議な言葉だと思いませんか。今では郷土料理とか郷土史あるいは郷土誌、郷土芸能といった言い方はあるかと思いますが、あまり使われなくなった言葉です。そこで、郷土玩具関係の本を調べてみたら、意外と新しく、大正時代ごろから使われるようになったようです。ここからは、私の得意の妄想ですが、白樺派や宮沢賢治の農民芸術あたりと関係があるように思います。さらには、柳田国男が明治末年に組織した「郷土研究会」や「郷土会」、大正2年から刊行した「郷土研究」あたりにもルーツがあるように思います。しかし、私が知りたいのは、その語源です。
 さて、保育社版の「日本の郷土玩具」には、著者の言葉として「この前の太平洋戦争のために、一時はほとんど絶滅してしまった郷土玩具も、戦争の傷跡がなおるにつれて、徐々ながら復興してきた」ということが前書きの書かれているそうです。ちなみに著者の木下亀城さんは1896(明治29)生まれですから、太平洋戦争のころは40代の働き盛りです。したがって、戦前から戦中そして戦後と郷土玩具の栄枯盛衰を見てきたことでしょう。福井のお生まれだそうですから、幼いころは、ひょっとしたら、郷土玩具で育った最後の世代かもしれません。
 私は昭和29(1954)年生まれですので、郷土玩具で遊んだ記憶はありません。正月はタコあげ、ふだんはビー玉やメンコ、あるいは三角野球やサッカーボールをけった記憶はあります。また、祭りのときにはセルロイドのお面を買ってもらった記憶もありますが、高度成長の中で、あっという間に大手玩具メーカーの野球盤や田宮模型のプラモデル、レゴなどに熱中した世代です。木下さんは、私の年代からすれば祖父の世代に近いかと思います。1896年と1954年、ほぼ60年に間にこんなにも子供の遊びが変化したということでしょうか。
 では、なぜ、郷土玩具が私も含めた人々を魅了するのでしょうか。本屋にいけば、必ず郷土玩具に関する本は置いてあります。倉敷の「日本郷土玩具館」、あるいは昭和16年に始まったという「日本郷土玩具の会」、また、新宿区の牛込河田町にある民芸品の店「備後屋」さんには、郷土玩具のコーナーがあります。最近では、甲斐みのりさんの「はじめましての郷土玩具」が発売されました。さらに注目すべきは奈良の老舗の店「中川政七商店」と、あの「海洋堂」さんがタッグを組んで、全国47都道府県ごとに代表的な郷土玩具をひとうずつ選んでミニ郷土玩具を発売していることです。迂闊なことに私は知りませんでしたが、結構な売れ行きだそうです。
 あれこれと郷土玩具について書いてきましたが、今回は別に結論じみたことは何もありません。今後も郷土玩具を集めていくつもりです。その数は結構な数になります。それで思いだしました。京都の東寺のお隣に平田郷土玩具店があります。天井まで飾られた郷土玩具に驚くことでしょう。私も弘法さんのあとに、このお店に寄り、さらに並びの和菓子屋さんでおいしい和菓子を買うのが京都時代の楽しみでした。

如庵