想いと私とエゴ | ひなたの道を選んで生きる✥光と闇を結ぶ星よみかさんのブログ✥

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カナイプレートアート認定ナビゲーター、星よみかさんです。
闇が深いほど、それと同じくらい強く光り輝く自分がいます。
星よみとカナイプレートアートで、自分らしく生きるための
サポートをしています。お気軽にお声がけください

知っていても、今まで縁のなかった国のことは
どうしても他人事で、心配しているような事を
口にしても、どこか上辺で、綺麗事で

だから
あまり、、何も、言えなくなる

大病を患った友人を
軽々に励ますこともできず
どうしたら
その友人を大切に想っているかを
伝えられるか
何ができるか
と思ったけれど
それすら、「私よがりのエゴな想い」かも知れない
と、思ったら
言葉に詰まり

結局

彼女が今、
「何を聞きたい」
「何を話したい」
私と一緒に
何を食べたい
何処に行きたい?
何を見たい?

それを共にするだけしかなかった

今まで縁のなかった国から来た人と
知り合うと

それまでは
どちらかというと
嫌いだったり
実は
蔑んだりしていた
そんな自分のこころに気づき
それを恥じながら

現金なもので、
ちょっと
好きになったりしていることがある

ハンディキャップを持つ人に
適切に
サービスするために
サービス介助士という資格がある
サービス業に就いていたとき
勉強して資格を取ったが
仕事で、確かに
知らない時よりは
上手くできるようになったかも知れない

だけど

例えば、普段、オフのときに
目が不自由な方に遭遇したとき
何の躊躇いもなく
声をかけられたか?

いや、気付いたか?

いや、そうじゃない
気づかないように歩いてなかったか?

そんなことを思う

最近
直に、目に障害のある方とお話しする機会があり
盲導犬にも直に関わることがあった

それは
本当に自然な集まりで
会話で
繋がりだった

そんな事をぼんやり
思い起こしながら歩いていたら

今日
目の不自由な方と遭遇した

自分で歩けるのだから
余計なお世話かな
と、一瞬思ったけど

それなら相手が「大丈夫です」と
言うだけのことだし
前方はエスカレーターだし…
と思って声をかけたら
「お願いします」だった…

声をかけて本当に良かったと思った

その後、自宅最寄りの駅で、また
目が不自由な方に遭遇した

ラッシュ時間だし
そこそこ混む駅で
後ろから人が来るし…

声をかけたら
今度は「大丈夫です」だった

「待ち合わせですか?」と聞いたら
家の人が迎えに来るから、とのことだった

それ以上はお節介というものだ

だから
「ここはちょうど、人が後ろから流れてくる
真ん中辺りだから、
少し避けた方がいいかも知れない」と
伝えた

でもその人は、動きたくなさそうだったから

それでいいんだ

と思った
「お気をつけて」と言って立ち去った

人を思いやることと
自分の想い

伝えたい
のはエゴなのかな

手伝いたい

やってあげる
私がやってあげた

違うように思う

徒然なるままに。