おどかしても、こわがらせても、
なんの役にも立たなかったばかりか、
残されたその ちいさな扉さえも
ガチャンと鍵を かけられる。
急かしても、お尻を叩いても、
なんの役にも立たなかったばかりか、
胸を詰まらせるばかりで、
息を 浅くするばかりで、
おおきな 押し寄せるような波は、
わたしの背中を押したりしない。
でも、
「何の役にも立たなかったばかりか、」
それらの 苦しいひとつひとつは、
お日さまの光に照らされて
おいで、おいで、って 融かしてくれる。
わたしだけ、悩んでいたようで、
世界が 一緒に 悩んでくれていた。
いつの日からか、 遥か かなたの向こうから、
キラキラ、じわじわと、
幾億光年のときを超えて。
「平和」って なんだろう?
武力で 必死に守り抜くのが「平和」だと
小さくて大きな 大人が 言うけれど、
ほんとうの「平和」は、
「守る」ものでは ないはずなんだ。
それでも「守る」と言うのなら、
キミは 何から守ろうとしているのかな?
侵されることがあるのなら、
それは
「平和」を「守ろう」とする、
その ちっぽけな “勘違い”のせいさ。
だって、「平和」は 誰からも侵されない。
“相手の「平和」を想いやれる 心のゆとり”。
これを「平和」と 呼ぶのだと
わたしの心は おもうから。
“相手の「平和」を想いやれる心のゆとり” を、きっと 平和と呼ぶのだろうな。
誰かの「しあわせ」を応援する氣持ちを 平和と言うのだろう。
だから、
柔らかな翼を持った天使が “平和の使者” であって、
強そうな武器を纏う戦士を、
“平和の使者”とは、決して 呼べないのである。
聖なる 女神コヴェンティーナ様も そんなことを言っていました。(⌒‐⌒)
セラピールーム しろい はね *
眞世より
明日のあなたが、平和でありますように