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中軽井沢・離山公園の旧雨宮邸新座敷で行われている「稲垣黄鶴・書の世界~野の花と小鳥の声に囲まれて~」。
軽井沢・追分の旅籠の娘として生まれた稲垣黄鶴は、1歳の時、上田藩主の祐筆を務めた湯浅家の養女となったことから、幼い頃より書に親しみ、才能を現した書家。
東京女子師範学校を卒業後、中国・日本高等女学院の教師として請われて中国に渡り、さらに書を学びやがて迎えた終戦。
中国軍に銃を突き付けられながら心情を書にしたためたことで許され帰国。
帰国後も様々な活動と書に努め、故郷・軽井沢、追分の風景に思いを込めた作品を数多く残しており、毎年夏、この場所で公開されています。
漢詩、和歌、俳句、徒然の思い。
誰かの作品を書に表したものから、自身の心情まで。
額装、掛け軸、屏風、短冊、小物…など、柔らかで力強く、変化に富んだ作品の数々。
筆使いの巧みさはもちろんのこと、明治・大正・昭和・平成という激動の時代を103歳まで生き抜いた生涯から生み出された言葉の重みと説得力。
その1つ「生涯の旅路」は、柔らかな文字で書かれていながら、ずっしりと胸に響きました。
反響が大きいとのことで、希望者が持ち帰れるよう、その内容が用意されていました。
「生涯の旅路」
※実際は流れるような筆使いで書かれています
同じく追分を愛した詩人・建築家の立原道造の「のちのおもひに」(額装)は、書の中に風が流れ、草が揺れる風景が目に浮かぶようでした。
会場となっている「旧雨宮邸新座敷」は、軽井沢の開発を手掛けた実業家・雨宮敬次郎の屋敷。
何度も事業に失敗しながらも挑戦を続けた生涯。
明治の建築も一見の価値あり!
公開されているのは、来客の際などに使われた「新座敷」
伊藤博文も泊まったとか
和洋折衷
今では手に入らない、貴重な材が使われているそうです
離山公園となっている邸内には
歴史を見続けてきた樹齢数百年の大樹が
しっかりと根を張って立っていました
“骨太の軽井沢”に触れた思いがします。
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