北陸フリーきっぷでの鉄道旅2日目の続き。福井で越美北線から北陸本線に乗り換える。越美北線普通で福井②番線12:23到着、⑤番線に移動して12:36発の名古屋行『しらさぎ8号』で敦賀に向かう。乗り換え時間13分で、ここは駅のコンビニでサンドイッチや飲み物を買うだけで⑤番線に移動。
『しらさぎ8号』の自由席は3割ぐらいの乗車率。県庁所在地の福井なので乗り降りはそれなりにある。福井では晴れていたが、鯖江、武生と進むにつれてどんどん曇っていく。長大な北陸トンネル(13,870m)を抜けると交流から直流に代わるデッドセクション。そして、敦賀に13:09に着く。曇っているが、雨の心配はなさそうだ。
敦賀駅は3面7線からなる地上駅で、3月16日に北陸新幹線が開業すれば南東側100mほどのところに2面4線の新幹線ホーム(3階、12両編成対応)と、2面4線の北陸本線新幹線乗り換え専用の特急ホーム(1階)が増える。現在のホームは小浜線と第三セクターのハピラインふくいとして残る。在来線と新幹線は2階の通路で結ばれる。
現在、改札口のある北西側の①②番線が小浜線用の島ホームで、③⑤番線北陸本線島ホームの近江塩津方にある切り欠けホームが④番線だ。新幹線ホームに近い方が北陸本線の⑥⑦番線ホームとなる。
地上駅ながら改札口が一段下にある構造は小樽駅を思い出させる。また、南東側すぐ近くを木ノ芽川という川が流れているロケーションは旭川と似ている。なお、新幹線開業に合わせて、南東側にも改札口が造られる。
▲敦賀駅で発車を待つ小浜線125系2両編成
▲敦賀駅②番線から見た小浜・近江塩津方向
▲敦賀駅福井方向
①番線の小浜線2両編成に乗って発車を待つが、信号が青に変わらず時間になっても発車できない。理由は分からないが、結局13:18発東舞鶴行は10分ほど遅れての発車となった。クロスシートの車内を見た感じでは乗車率は2割ぐらいだ。
駅から左手にゆっくりとカーブしていき、JR西日本の運転所やJR貨物の機関区を見ながら進むと、やがて右手にカーブしていき北陸本線から分かれる。単線電化の小浜線は西鶴賀、粟野と過ぎ、狭くなる平野部を西に上っていき、関峠を越えて左に折れたら短いトンネルだ。
そのトンネルを抜けたところで、右手彼方にチラリと海が見えた。少し下っていくと、低山の間の狭い平地にある東美浜。東美浜を過ぎても低山と狭い平地が続き、時折遠くに海が見える。三陸海岸のような険しい地形ではないが、若狭湾の入り組んだ地形が想像できる。若狭湾側に出て天気は回復してきて、青空が広がってきた。
2面2線の美浜駅付近でも右手遠くに海が見える。美浜の海は若狭湾南東部の美浜湾で、このあと美浜湾と世久見湾を区切る半島部の付け根にある三方五湖の近くも通る。次の駅、気山の手前では三方五湖の一つ、入江のような久々子湖に200mぐらいまで近づく。そして、気山では外人女性が10人以上も乗車してきて、車内は一気に香水の匂いで包まれる。
▲美浜-気山間…東美浜から若狭湾沿いに出て時折海や湖が見えるようになる
気山-三方間では遠目に菅湖と三方湖がチラリと見えた。三方駅は現在は棒線駅だが、昔は2面2線だったようで隣にホームが残っている。駅から歩いて三方五湖に行くのなら気山か、この三方という事になるだろうが、五湖全てを制覇するのはかなり難易度が高そうだ。
フリーきっぷでは小浜までがフリー区間だが、この日の予定としてはエリア外の東舞鶴か綾部まで足を延ばすつもりだった。ただ、綾部まで行くと帰りの東舞鶴乗り換えが1分という事になり、そこが気になっていた。
まあ、同じJR西日本だし、乗り換えられるように連絡はすると思うが、結局綾部を諦めてフリー区間の境界駅の小浜で時間を使うことにして、最終的に東舞鶴で引き返すことに決めた。
三方を出発したあとは山間の平地を縫うように南に西にと進み、小浜駅で再び海近くの住宅街に出る。小浜には9分遅れの14:30に②番線に着いた。小浜までは対向電車との交換がないので、どの駅も停車時間は短く遅れを取り戻すのは難しい。この小浜駅では敦賀行との交換があるので5分ほどの停車時間があるが、それでも遅れは残る。
14:28発の①番線敦賀行も東舞鶴行を待っていて数分遅れで発車していった。
▲小浜駅②番線に着いた東舞鶴行後面
▲小浜駅敦賀方向…遠ざかる敦賀行が小さく見える
敦賀行と東舞鶴行が出発した後の小浜駅には、③番線ホームに回送電車が停まっていた。時刻表から判断すると、敦賀から7:56に着いた電車がそのまま留置され、15:29始発の敦賀行として運用されるようだ。
▲小浜駅③番線に留置された回送電車
跨線橋を渡って改札口のある①番線に行き、東舞鶴方向の写真を撮った。②③番線ホームの外れにあるレンガ積みの給水塔が、蒸気機関車時代の遺構を今に残している。
▲小浜駅東舞鶴方向…左側に少し見えるレンガが昔の給水塔
とりあえず自動改札機を抜けて、東舞鶴までのきっぷを買った。次の東舞鶴行まで1時間あまり。電車の中で決めた小浜城跡まで行ってみることにした。駅からは1.3~1.4kmぐらいの距離になる。
▲青い屋根が目立つ小浜駅駅舎
駅前ロータリーに接して東西と北に道路が延びているが、東と北の道路が国道162号線となる。小浜城跡には北にまっすぐ歩いていく事になる。この先の橋が架け替え工事中という事でか、車がほとんど通らない。
駅から300mぐらい歩いた左側に小さな公園があった。片隅にC58型蒸気機関車が展示保存されていて、園内にはほかに杉田玄白顕彰碑や梅田雲浜像が建っていた。「解体新書」で有名な杉田玄白と儒学者の梅田雲浜(うめだうんぴん)は小浜藩出身だ。
▲小浜駅近くの公園に保存されているC58
荷物を肩にかけて、傘を杖代わりに注意深く街中の歩道を歩いていく。歩道が少しでこぼこしているが、人通りが少ないのでほとんど人とすれ違わない。やがて、橋工事中の南川手前に行き着き、車道は右に誘導され、歩道は少し脇の細い橋梁に導かれる。橋の左手が河口、右隣に取り壊し中の道路橋、奥に迂回道路橋が見える。
▲南川に架かる歩道橋から河口を望む
橋を渡ると土手に囲まれた低い土地で、地面の高さは水面とあまり変わらないのではないかと思うぐらい低い。この土地の北側には多田川、北川と2本の河川が並んでいて、規模は小さいがさながら濃尾平野の木曽三川の河口部を思わせる。
この辺りの中州の幅は100mぐらいだが、河口部に向かって広がっている。河川改修で狭くなったが、城が造られた1,601~1,641年頃はもっと広い三角州で、四方を海、川、湿地に囲まれた実務的な海城として、焼失する明治4年まで残っていた。
左の石段を下りて住宅の間の路地を数十メートル歩けば、向かいに神社が見える。少し右に小浜神社の鳥居があり、奥に拝殿がある。小浜神社は小浜藩の藩祖・酒井忠勝を祀るために明治8年に建立された城だ。辺り一帯は小浜城の本丸跡だが、現在では石垣の一部が残っているだけだ。
▲小浜城本丸跡に建つ小浜神社
鳥居をくぐって拝殿の横を抜けて奥に行くと、石垣が見える。天守部分の石垣の一部で、外側は雑草も少なくてきれいだ。石垣の外側には住宅が隣接していて、小浜市街地の広がりを感じる。
▲小浜城本丸の石垣…奥の一段高いところが天守台だ
天守台に登って辺りを眺めると、樹木の多い小浜神社とは対照的に、川と海に囲まれた正面は住宅地になっている。川と海、山以外は平地に建物が密集していて、小浜市街地の密度の高さを感じる。天気が良くて傾きかけた夕日が眩しい。
▲小浜城跡の天守台から見た南川と入江
本丸跡を一通り見たところで駅に戻る。ちょっと腰が気になったが、あまり時間に余裕もなさそうなので休まずに歩き、無事に小浜駅に辿り着くことができた。
以下つづく。