おはようございます。フロサポのみっちーです。
昨日は、3月11日でした。川崎フロンターレは、震災直後からMind-1プロジェクトを立ち上げ、街頭での募金活動や、被災地、陸前高田との交流など、機会をとらえて、復興支援を続けてきたと思います。
川崎フロンターレは、街頭で行っている募金をはじめ、Mind-1ニッポンプロジェクトの収支について、その使途の明細を公表 していますから、僕としては、どこにどれだけ使われたかわからない募金よりも、直接つながっている、役だっているという実感が得られる分、安心感があります(中には残念なことですが、詐欺まがいの募金活動もあるようですから)。
昨日も街頭へ行ってきました。シーズン始まっているにもかかわらず、多くの選手が募金活動してくれていました。溝の口で募金箱に募金し、募金箱を持ったヨシトと握手して帰ってきました。選手では、ノボリやショウタ、ケンヤの姿を見ました。ほかにもいたかもしれません。あとヒロキや多くのスタッフ、ボランティアの方々もいました。それとシンペー社長も自ら立ってました。ありがたい限りだと思います。
自戒も込めて、書いていますが、僕も、普段の生活を送る中では、震災があったことを意識しないで過ごしてきています。この時期になると、テレビをはじめとしたメディアが、こぞって報道しますが、逆に言えば、この時期以外は、そういう情報に接する機会も減りました。
4年前のあの日、僕は、当時の勤務地だった横浜の事務所で執務していて、机についていましたが、強い揺れを感じて、そのあと仕事どころではなくなったのを覚えています。最寄の桜木町駅まで、一回歩いていったけど、駅には入れなかったし、ロータリーにはバス待ちで人があふれてて、公衆電話に長い行列ができていました。歩いて帰ろうかとも思ったけれど、夜になっていたので、翌朝帰るつもりで事務所に戻りました。
幸運にも、23時過ぎには、みなとみらい線と東急東横線が動き出したので、普通に電車で家に帰ることができました。ただ、その時、車窓で見たのが、普段は明かりがついているのに、停電のため、真っ暗だった地区がいくつかあって異様だった記憶があります。僕は、本当に幸運で、普通に家に帰れたし、家族も無事だったし、家は停電もしていませんでした。しかし、その日見たテレビの映像で、被害状況に愕然としたことも覚えています。
あの日からしばらく、川崎ですら、モノがなかなか入荷されなかったり、ガソリンスタンドに長蛇の列で並んで給油していたりしていました。計画停電なんてのもありました。非日常という点では、それなりに特異な状況で、思い出そうとすれば、思い出せます。それなのに、もう遠い昔になってしまっている気がします。
一方で、いまだにプレハブの仮設住宅に住んでいたり、全国バラバラになって地方各地へ避難していたりと、不便な生活を強いられている方々がいます。その人たちにとっては、非日常が日常に固定されたままです。
僕らに何ができるのか、直接的には、被災地に行ってボランティア活動を行ったり、募金したり、旅行してお金を落としていくなどかもしれません。ずっと続けられれば、それにこしたことはないのかもしれません。しかし、僕は、誰にでも一番簡単にできることは、関心を持ち続けて「忘れない」ことかなと思います。
それでも人間、日々の生活に流されて、つい忘れそうになります。川崎フロンターレは(他のクラブでも同様だと思いますが)、幸いなことに、Mind-1プロジェクトの一環で、ブームでなく、継続的に活動をしてくれています。昨日の街頭で募金活動もそうです。
選手たちが忘れないで行っていることは、僕らサポーターも忘れられません。選手たちが頑張って活動してくれているのに、支える僕らもそのサポーターとして、恥ずかしくない振る舞いをしないといけないと思わされます。
形は、変わりますが、昨日、U22日本代表の試合がありました。当初、12日の開催もあったようですが、2011.3.11当時のベガルタ仙台の監督であり、青森出身の手倉森監督が、3.11の開催を希望したとのことです。こういった日にメモリアルスポーツイベントを開催するという支援もあるのかなと思いました。
僕は、川崎フロンターレを入り口とした形で、こうやって震災を意識しますが、別に形にはこだわらず、多くの方々が、3.11という日をきっかけに、再び被災地に関心を持ち、ReMindしてもらいたいと感じました。
(震災から約1年後に行った陸前高田です)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
