私は32歳から48歳まで16年間「とんこつラーメン平松屋」を経営していました。
高校時代、部活とオートバイと麻雀だけの日々。
勉強は一切せず、成績はクラス42人中41番。
当然、大学は全落ち。
自分の力で生きて行く❗️
と啖呵を切って家を出て住み込み新聞配達。
その後フリーター、いくつものアルバイトをしました。
「なんだよ❗️学歴がないと
一生貧乏確定じゃん❗️」
5年ぶりに実家に帰り、親に頭を下げ、親のお金で勉強させてもらいました。
毎日始発に乗り2時間かけて市ヶ谷の駿台予備学校に通いました。
横浜の駿台なら40〜50分で通えましたが、
「勉強は環境が大切」
市ヶ谷校舎では、灘・開成・ラサール・桜蔭・女子学院や各県ナンバーワンの公立高校出身者と知り合いました。
彼らは普通の浪人生。
ガリ勉タイプではないんです。
でも全員が小学生の頃から学歴を意識した親に育てられ勉強を積み重ねて来ていました。
全員が国立大学医学部志望者でした。
慶應医学部合格を蹴って東大理3を目指している者もいました。
東大文3を卒業後、就職→退職し国立大学医学部を目指している者もいました。
浪人時代の彼らは、そんなにガツガツ勉強していたようには見えませんでしたが、どう計算しても彼らが積み重ねて来た勉強量は莫大で、私が毎日25時間勉強しても絶対に追いつくことはできないものでした。
それでも私がやれることはやってみようと正味10ヶ月間、寝食以外は勉強しました。
結果、国立大学医学部には落ち、立教大学理学部化学科に合格。
25歳の時でした。
25歳で大学に入ったところで就職先などあるはずもなく、税理士資格を取ろうと簿記の勉強を始めました。
立教大学は2年で中退し、パチンコ屋で働きながら大原簿記学校に通い「簿記1級」に合格、税理士試験1科目(酒税法)に合格したところで力尽き、勉強から離脱。
無職、無収入、無貯金でも付き合ってくれていた彼女と結婚。
6坪の店舗で昼は立喰そば屋、夜は立ち飲み屋をやりながらラーメンの研究をし32歳で
「とんこつラーメン平松屋」を開業。
1年目の年商250万円、年収30万円
5年後の年商1億1000万円、年収1500万円
その頃の従業員が独立してラーメン屋を開業し18年間、先日閉店しました。
私は青年実業家に憧れ多店舗展開を目指し8軒出店し、最終的には5店舗を経営しましたがそこまででした。
妻の死別→倒産自己破産→生活保護
父子家庭の生活の中でも「絶対に学歴は必要」をブレずに貫き、娘は慶應義塾大学に現役合格、息子は1浪して武蔵大学合格。
やるべき参考書、問題集は分かっています。
でも、違うんです。
いくらネットで情報を集めようが…
子供は、ちゃんと丁寧に構って付き合ってあげないとすぐに勉強から離れてしまいます。
だから私は「平松塾」を創業したのです。
勉強は気持ち‼️
勉強は質より量‼️
学歴は100%、親次第‼️
親はどんなに犠牲を払ってでも、
子どもに学歴をつけさせるべきです。
一緒に頑張りましょう。
無料提供夕食
保護者様からいただいた食材