ここ最近、アメリカの次期大統領選の様子についてニュースで見る事が多い。

オバマさんとロムニーさんがかなりの接戦になっているようだ。



今年の夏の終わりに竹中平蔵さんの講演会に行ったことを思い出した。

たまたま中野サンプラザで開催されると聞き、平蔵さんのお話を聞いてみたくて、仕事を途中で抜けて行かせてもらったのだった。



講演会の題名は「激動の世界情勢と日本経済」

私は昔から世界情勢のお話を聞くのが大好き。

だからといって、世界情勢や経済に強いわけでは全くない。

理解できる、できないは後回しで、とにかく「世界ではそんなことが起きていたのか!」という話を聴くのが好きなのである。



しかし、今度はテレビ番組ではなく、生の講演会。

もし話が理解できなかったら、眠くなって舟を漕いでしまうんじゃないかと心配になり、コーヒーのボトルをバックに忍ばせて出発した。


証券会社主催の講演会なので、資産運用を考えるリタイアされた方々が多く集まって来られた。


平蔵さんは、明るいベージュの上着を着て、にこやかに登場された。

「実は学生の頃中野に住んでいて、今日は初めて中野サンプラザに入れて嬉しいです」と仰り、明るく軽やかにお話しは始まった。



全体的なテーマは「鳥の目を持とう」

世界で起こる様々な出来事を、それぞれ別なものとして捉えるのではなく、バルコニーに上がって全体を見渡して考えてみようとのこと。


色々な角度から世界の動きをお話しして下さったが、私が「なるほど♪」と感じた個所をご紹介しよう。

(※9月の時点でのお話)



1.自民党総裁選


自民党は次の選挙では民主党に圧勝するだろうとの予測で、次の自民党総裁になれば首相になるのは確実と見て、色んな方がワラワラと総裁選に出馬しようと出てきていること。(その後晋三さんが選出されたが、今回はお腹の調子は大丈夫なのか?)



2.アメリカ大統領選挙


アメリカ大統領選、当初はオバマ大統領が優勢と見られていたが、ロムニー氏の支持率も対等までに上がってきている。もしロムニー氏が大統領になれば「強いドル」を目指してドル高へと動いていくであろうこと。



3.ユーロ圏の問題について


ユーロ圏ではギリシャ問題に対し一応楽観的になってはいるが、その中でも一番力があるドイツのメルケル政権はこちらも来年の総選挙を控えて今は慎重になっており、大きな動きがとれない為ヨーロッパのゴタゴタはまだ続くだろうとのこと。




平蔵さんのお話は、私には多少難しい部分はあったものの、「え? もう終わりなの?」という程、最後まで興味深くお話しを聴くことができた。

その後、ニュース番組の世界情勢を見て、「あ、そうそう、平蔵さんがそうお話してたっけ」と思うことがあり、とても有意義な時間だったと思う。


私はオバマさんが再選されることを願っている。

以前ハワイに行った時、オバマさんが高校生の頃バイトしていたお店など見たりしたら、なんだか親しみが湧いてしまった。

特にブランドものに興味があるわけではないけれど、円高の内にハワイに行って楽しくお買物もしたいし・・・。


随分肌寒い日が多くなったけれど、時々暑くなったりして風邪をひいている人が多い。

気を付けましょう


今週のお稽古花材は赤芽柳。

枝にツヤがあり名前の如く芽が赤いが、これは芽の皮。

チュルッとその赤い皮を剥がすと中に隠れていた芽は光沢のある銀色のなめらかな毛に覆われている。

秋の赤いカーデガンを脱いだら、冬色の柔らかい毛皮を着ていた感じ。


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▲真ん中の芽だけ皮を剥がした状態



枝は矯め(力を加えて枝を曲げること)は効くが、弾力があり元にもどる力も強いので、丁寧に時間を掛けて矯めて曲線を作っていく。


足元の芽は取ってしまうが、芽の根元を残しておくと束ねた時に邪魔するのでこれもきれいに処理しておく。



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▲上のでっぱりは芽の根本が残っている。下のようにきれいに切り取る。


元々せっかちで、どうしたら手間を省けるか、ショートカットできるかを考えることに心血を注いでしまう私は、いけばなを習うようになって自分の忍耐力のなさを実感し、「急がば回れ」ということを学んだ。


一見つまらなく見えて時間の掛かる基礎的な手間の一つ一つが、結局最後の出来栄えを大きく左右する。

その一つでも面倒くさがって端折ると、最後の段階でどこをどういじってごまかして形にまとめようとしても上手くいかないのだ。


基礎的な段階をキチンと踏んで進んでいく王道こそが一番のショートカット。

料理だってそれぞれの材料を下ごしらえするのと同じこと。

ぞんざいに扱われれば、きっと花材も納得しないのだろう。

「面倒くさがりのあなたなんかの思い通りにはならないわよっ!!」って。


そして、出来上がった作品。

付き合ってくれてありがとう、赤目柳。

柳の季節が来た。





このところ空気も肌寒くなり、一気に秋めいてきた。

今週のお稽古の花材は、秋の月を想わせるような黄菊。



菊を矯める(曲げること)には忍耐と集中力が必要。

先生の「昨日はお喋りしている時にうっかり菊を折ってしまった方が多くいらっしゃいました」というお話を聞いて、緊張しつつ静かに集中して、優しく優しく丁寧に菊を矯めた。


随分頑張ったつもりでいたが、最後に全体を見るとやはり真(真ん中の一番高い菊)の矯めが思ったほど曲がっていない。

次回はもうちょっと頑張ろう。


お生花はどんな花材でも、それぞれの花材の特徴、枝ぶりなどを生かして、真・添・留・真受け・留受けの形に生けていく。

決まりに則って形にしていくところは俳句を作るのに似ていると思う。

馴染みのない方は決まりが多いと創造の枠が狭くなるように思われるかもしれないが、そこが奥の細道(?)。

進めば進むほど奥が深く、「日本人はこういうものを美しいと感じてきたのか」と、お生花には古くから受け継がれてきた日本の美意識を学ぶ事が多い。

「日本の伝統美」に通じる一つの扉として、床の間を舞台として生まれたお生花はお勧めです。



ちなみに私の家に床の間はないので、生けたお花は玄関の下駄箱やリビングのサイドボードの上に飾っている。

花器の下には花展で見るような塗りの花台でなくても、ハンズで見つけた木目のきれいな板、雑貨屋さんで見つけたランチョンマットなどをお花の雰囲気に合わせてひくと作品として立派に見えてしまう。

敷物マジックというより、雰囲気作りだろう。


先生が「道具はいけばな用に作られたものでなくても、昔の人が色々工夫して馬が水を飲む時に使う馬盥(ばだらい)や井戸で水を汲む釣瓶(つるべ)を花器にして花を生けたように、ご自分で工夫して花を生けて楽しんだらいいわね」と仰っていた。

それを伺ってから、昔叔父が大事に使っていた大きなカットガラスの灰皿や、叔母が親しんだお茶道具の水差しを出してきて、お花を生けている。

どちらも本来のものとしては出番がなかったが、今花器として生きている。


そして最近のお気に入り、お客さんがみえる時は玄関には小さめの花を置き、和室に大き目の四角い木のお盆を置いて、お生花を置くとちょっと床の間めいた雰囲気が漂うのである。



Micberryのブログ 石化柳とピンポン菊のお生花


Micberryのブログ ピンポン菊を鶏頭に生け替えた


お花を中心に雰囲気を作って、家の中に新たな風をおこして喜ぶ今日この頃。


平和なことに感謝する。




お隣さんである韓国・中国との問題を冷静に、そして前向きに乗り越えていけるよう願う。





Micberryのブログ

幼稚園の頃のお話 第4弾。



幼稚園にトモコちゃんという友達がいた。

背が高くて、幼稚園児なのにもう美人だった。


トモコちゃんはいつも優しい笑顔を絶やさない静かな女の子。

背の順に並ぶと私より後ろにいて、振り返るといつも笑顔を向けてくれた。

同い年なのに落ち着いていて、周りの皆を思いやるお姉さんのようだった。

でも、トモコちゃんは皆と外で走って遊ぶことが出来なかった。

足先に障害があり、バランスがうまく取れないようだった。



靴を脱いだ時のトモコちゃんの足先は、ちょうど「魔法使いサリー」の足のように丸かった。

私はトモコちゃんの足が他の人の足と違っているのではなく、人の足には色んな形があるのだと思っていた。

そして誰にでも苦手なことがあるように、トモコちゃんは走るのが苦手だからお部屋で遊ぶ、私はそういう風にしか思っていなかった。



名古屋の幼稚園を卒業した途端に、父の転勤で東京に引っ越してきた私は、誰一人知らない東京の小学校に入学し、名古屋のことは夢の中の出来事のように感じるようになった。

そして、数年経ってから、ふとトモコちゃんのことを思い出した。

「そういえば、トモコちゃんと同じ足の形をした子はどこにもいない・・・」


私は小学校も半ば過ぎてから、トモコちゃんが障害を持っていたことを認識した。




トモコちゃんの静かな笑顔。

沢山の疑問や夢や願い、色々な想いが詰まっていたにちがいない。


トモコちゃん、優しいお母さんになっているだろう。

幼稚園の頃のお話、第3弾。



幼稚園の頃住んでいた社宅には同じ年頃の子供達が十何人もいた。

でも、私と同い年なのはノブコちゃんだけだった。

同じ社宅の子供達の中でも、通う幼稚園は二つに分かれていた。

ノブコちゃんはディズニーの絵が描かれたバスに乗って行く幼稚園、私はお寺の幼稚園。

私達は別々の幼稚園に行って、帰ってきてから一緒に遊んだ。


社宅の南側には広めの庭があり、同じ社宅や近所の子供達と一緒に皆で遊ぶことが多かった。

その中で異彩を放つほど、ノブコちゃんは一人っ子のワガママタイプだった。

相手が誰であれ関係なく、自分の主張を押し通す勢いを持っていた。


ノブコちゃんは、ジャンケンで負けて鬼ごっこの鬼になれば「イヤだ」と言って怒りだすか、目を吊り上げてむきになって皆を追い掛け回すか・・・。

社宅というちょっと難しい環境の中で、親達は他の子供達にも気を配り、「皆で仲良く遊びなさい」といつも言われいたし、少し年上のお兄ちゃん、お姉ちゃん達は小さい子達の面倒をよく見てくれた。

私はノブコちゃんを友達だと思っていたけれど、怒り出すと誰の言う事も聞かないノブコちゃんを、所構わず火を吐く小さな怪獣のようにも感じていた。



そんなノブコちゃんがある日遊んでいる時に転んでしまい、足をすりむいてしまった。

「ん、んんん・・・、ウウウワァ~~~~ン」とノブコちゃんが泣き出した。

私はその時初めてノブコちゃんが泣くのを見たのだ。


怖いもの知らずの押し相撲怪獣ノブコちゃんが急に小さな子供のように(実際に子供だが)大声で泣き出したのだ。

「ノブコちゃんがあんなに大きな声で泣いている・・・、そんなに痛かったんだ、ノブコちゃん、かわいそう・・・」

びっくりした。ショックだった。

その泣き声は瞬く間に大きくなり、社宅中に響いた。

子供達の顔に驚きと当惑・・・、色んなものが混じって辺りに緊迫感が満ちた。

ほどなく泣き声を聞きつけて、ノブコちゃんのお母さんが救出に出てきた。



私は家に帰り、玄関のドアを開けるなり「お母さーん、さっきノブコちゃんが転んじゃって大変だったの、お母さんがだっこして帰ったよ」と言うなり、急いで奥のテレビの置いてある部屋へ行った。

いつも母が夕飯の支度をしながら聞いていたNHKの夕方のニュースを見る為だった。

テレビ画面の真ん前に張り付いて、ニュースが始まるのを待った。

待望のニュースは淡々と始まり、そしてすんなりと終わってしまった。

私はかなり憤慨して母に向かって言った。

「お母さぁーーーん、ノブコちゃんが転んだこと、ニュースで言わなかったよっ!」

私にとってはそれほどの大事件だったのである。



子供の何気なく見える一日にだって、かなり衝撃的なことも起こるのだ。

ノブコちゃんがお母さんに抱き上げられたら、また更に大きな声でワンワン泣いた情景がいまだに目の奥に焼き付いているんだもの・・・。