サモハンが、普通の猫になりました。

彼は保護してから4年の間、寝ている時以外は喉がちぎれる程の大きい声で泣きわめき続けていましたが、ここひと月ですっかり『猫』の鳴き方で私に接してくれる様になりました。



もうシャーも言わなくなり、顔を撫でても怒る事はありません。

ところがある日の夕方、ご飯の時間にベランダへ出ると、思い切り牙をむき、シャーを発動して睨まれてしまいました。

何がきっかけで信頼を失ってしまったのか考えましたが、なんと、普段ハゲ頭でご飯をあげていた私がたまたまカツラを装着したままベランダに出たせいだとわかりました😱

サモハンは私のことを、ハゲ頭の人間、と認識していたようです😓

家の中の猫たちは、カツラを脱着する様を見ているので、どっちも同じ人間と理解してくれているけれど、サモハンはふさふさ頭が怖かったんだね。




ハゲ頭もカツラ頭も、どっちも私なので、サモハン、よろしく頼むよ!








チェンくんは、首と体にプラスチックチェーンを巻きつけた状態で逃げていたところを捕獲したので、この名前になりました。





約半年後、よく似た猫が、同じくプラスチックチェーンを引きづりながら逃げているところを捕獲し、サモハンと名付けました。

2匹とも猫エイズキャリアで未去勢、チェンくんは後脚の指を負傷していたので指の切断、サモハンくんは尻尾を負傷していたので断尾の手術を行うという、よく似た状況の2匹でしたが、チェンくんは数ヶ月ですっかりなついたのに対し、サモハンくんは一切こころを開く事なく、虚ろな眼差しのまま一日中激しい叫び声を上げ続ける状態が何年も続きました。





時間をかけずに人慣れしたチェンくんは比較的若く、一方サモハンくんは牙以外の歯がほとんど抜けており、若くはありませんでした。

厳しい環境で暮らした期間がチェンくんよりも長かったサモハンくんが心を許してくれないのは、当然の事なのかもしれません。


しかしふたりともそれなりに太っていて、チェーンを巻いた方が虐待をしていた証拠もなく、警察が動く事はありませんでした。

どんな飼い方をされていたのか、謎のままです。





チェンくんは家の中のケージ暮らしです。なぜならケージから出ると、先住の長女と長男がめちゃくちゃ喧嘩を売ってくるので、チェンくんには申し訳ないけれど、陽当たりと眺めの良いケージ暮らしを続けてもらっています。

一方北向きのベランダで一人暮らしのサモハンは、最近はベランダに迷い込んだ小鳥や小鼠を捕まえて、大はしゃぎしています。そのうえ、人間にお尻を付ける甘え方も憶えました。


保護から約5年、我が家の二大スターが幸せなのかは分かりませんが、それぞれ、環境と折り合いを付けながら、暮らしています。

私も2匹のお陰で少しオトナになりました。

大きい鳴き声とか粗相をするとか、だんだん平気になってきて、声を荒げて怒ることがなくなりました。

チェンくんサモくん、ありがとう😻

これからもよろしくね!

8年程前、近隣で3匹の猫の変死体が見つかりましたが、ニュースにもならず、その話をしているのは猫好きの変人たちなので、デマの可能性あるよ、という噂の方が広がってしまうという、何とも不思議な事件がありました。

確かに、近所で評判の激アツ猫好きの方から、思い出すのも悍ましい状態で猫たちは亡くなっていた、と聞きました。

警察にも来てもらったそうですが、獣医に診せても虐殺を確認できる徹底的な証拠は見つからないと言われ、犯人捜査にも至らないまま、過去の記憶となってしまいました。

ん?改めて今思っちゃいますが、近所の獣医に診せるより、検死をした方がよかったのでは?

警察の仕組みわかりませんが、猫だから、つまり死んだ、というよりも損壊した、という扱いだから、検死しなかったのか?それなら獣医でなくても古物商でいいんじゃね?なんて、今になって思います。




8年前の事件をふまえ、慣れた猫は里親探しをする必要があると思い込み、不幸な猫をこれ以上増やしてはいけないという思いで働いてきましたが、文字通り身を削って動いても、猫は幸せにできていないし、自分自身からだを壊し、おまけに動物愛護の方から激しく蔑まれただけでなく誹謗中傷のウソまで拡散され、本当に身も心もボロボロにあいなりした。


それでも命つきるまで、里子に出せなかった猫たちのお世話を続けてゆきたいので、なるべく死なない様に、自分の治療を続けています。


私自身については不幸だと思っていませんが、保護した猫たちの現状を維持するよう努力をする他に、いま出来ることもありません。

もしかすると愛護の方が事実確認もしないで誹謗中傷をしたくなるくらい、素晴らしい活動をしていたのかも?と、自負してみることにします。





そして最近感じていることは、保護施設が充実したところで不幸な犬猫は減らないのではないか?ということ。

保護施設が増えたところで、犬猫を平気で捨てる輩が減らなければ、施設はいくつあっても足りません。



少し前、ノルウェーで見つかったスパイイルカを追うNHKの番組を観て、ロシアでもアメリカでもスパイイルカの育成が行われている事実を知り、人間のエゴに落胆しました。


しかし番組内で、元スパイイルカを守る活動家のひとりが、ノルウェーの子供たちにその真実を伝え、海洋動物が人間のエゴで苦痛を強いられている事実を伝えるシーンがありました。

子供達は活動家の話を真っ直ぐに受け止め、海のゴミを減らす行動を起こしていました。

海の動物達を苦しめるプラスチックゴミについて子供達自身が思案している姿に、希望が湧きました。


野生の生き方を学んで来なかった元スパイイルカを保護するべきなのか、保護して自然に戻さないのはかわいそうなのか、という意見の対立。

また一方ではそのシロイルカを煽って一緒に泳ごうとする大人たち…万が一、イルカが一緒に泳ぐ人間に怪我を負わせたら即殺処分対象となる為、イルカを守る活動家たちが説得するも、耳を貸さないで遊び続ける幼い大人たち… 


そんなエゴまみれの人間達の論争に白黒つけるより、これから未来にはばたいてゆく子供たちに、全ての生物が守られるべき尊いいのちを持ち、人間と等しく痛みに耐えていると伝えていく事の方が、何倍も意味があると感じました。


昨今の日本の学校教育がどうなっているのかわかりませんが、是非とも、動物愛護管理法について、小学生にも伝えていただきたいです。

何より、人間らしく生きていく為に、他の生命への尊敬と感謝を忘れないでください。

動物愛護推進員の方にも、人間を傷つけないでくださいね、と、ひとこと書き残しておきましょう。