4月16日 土曜日♪
夜勤明け♪
🏥ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ
脱出した空が
青かったから、
(≧∀≦*;)ゞ
コンビニで
おにぎりとビール買い込んで🎵
🏪~ (*≧∀≦)🍙
自転車で南下♪
国道1号線から出て
宇治川沿い走って…
たまたま見つけた
景色が良くて
人がいぃひん 🈳
マッタリできる
(≧∀≦*;)ゞ
ソレから、
ソノ
案内の駒札に話戻して♪
ぶんご ばし
豊後橋址
この地から南方には巨椋池(おぐらいけ)と呼ばれる水域面積が約794ヘクタールにも及ぶ池があった。巨椋池の北部には多くの州島が形成され、蓮見や月見の景勝地として人々に愛された。現在に残る向島や槙島などの地名はその名残である。
豊臣秀吉は天下統一を果たした後、伏見指月(現在の桃山町泰長老付近)に築城した。この築城を契機として、宇治橋下流で巨椋池に流れ込んでいた宇治川を分離し、伏見城城下までの流路を形成する槙島堤と巨椋池を伏見から小倉に縦断する小倉堤(太閤堤)という巨椋池内の州島を囲む堤防を築いた。この堤に囲まれた州島と伏見をつないだのが豊後橋である。
豊後橋は、安土桃山時代(1594年)に豊臣秀吉が豊後国大名・大友吉統(おおともよしむね)に命じて架橋させた長さ約200メートルの橋である。架橋を急ぐため宇治橋を移築したとされる。槙島堤と小倉堤の起点であり、伏見と大和を繋ぐ交通の要衝として、江戸時代には幕府直轄で管理がなされた公儀橋であったが、幕末(1868年)に鳥羽伏見の戦いで焼失した。同地に明治6年(1873年)新橋が完成した際、月見の名勝地に因み観月橋と名付けられ、現在に至っている。
京都市
施工者(大友氏)と架橋時期(1594年)の矛盾のツッコミに寄りすぎちゃったし、
JRとか京阪の線路がめっちゃ迂回したルート通ってるん、
実は、敷設当時に巨椋池があったからなん…
迂回したスペースにすっぽりハマるカンジで池が有ったん
(((^^;)
近鉄だけまっすぐなんは、秀吉時代の土手(太閤堤=小倉堤)に沿って池を埋め立てて敷設したからなん♪
平安時代とか
源氏物語(宇治十帖)の頃は、こんなん♪
宇治川の宇治橋の下流側からが
巨椋池で、
島々がぎょおさん浮かんでたん♪
ソレで今も向島とか中書島とか島が付く地名多いん♪
ソレが、
豊臣秀吉がコノ観月橋(豊後橋)近くに築いた伏見城が天下の中心になって、
いくつもの堤防を築いて巨椋池を分割♪
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話を戻して、
今いるトコ
現在地は、
ちょおど『向島橋詰町』て書いてる辺り♪
向島てゆうんは、
伏見城から見て対岸の島やったから付いた、
秀吉の伏見築城以降の地名♪
地図で
『向島橋詰町』て書いてる辺り、
実際の風景やと、こんなん♪
(*≧∀≦)ノ
西向きやった道は、
コノ辺りは堤防崩したんやろか?
長くてゆるやかな下り坂が続いて…
ソノ線路の向こう、
電車が出現♪🚋
近鉄 向島駅🎵
小倉堤(大和街道)の上で『西目川』て書いてる辺りやと思うし、
向島ニュータウンも、
古地図と今の地図、見比べたら、
ちょおど渡った水路、
橋の名前も
二の丸橋ゆうんやて♪
二ノ丸池とか、
二の丸橋とか、
言うまでもあれへんケド
お城アトから付いた地名🎵
(*≧∀≦)♪🏯
豊臣秀吉が伏見城の支城として、
ソノ南のコノ一帯に築かれた
向島城が有ったからなん🎵
お城は無くなっても、
二の丸橋を過ぎて、
まぎれもない
巨椋池の底やったエリア…
Next♪
(σ≧▽≦)σ