青すぎる空に誘われて、
市内のアチコチ♪サイクリングへ♪
ε= ε=




実は、
伏見街道(前編♪後編♪深草北陵)
行く前…
最初に
祇園♪新橋界隈行って♪
白川をさかのぼって
(東行:なすありの道)
(北上:知恩院古門前)
明智光秀塚に寄り道♪
三条白川から三条を東♪白川とお別れ…
岡崎(旧地名:白河)界隈を抜けて
(北上:神宮道♪平安神宮の大鳥居)
(北上:府立図書館や市電前)
(東行:二条♪神宮道~岡崎通)
(東行:院政時代を偲んで)
二条白川から再び白川を北上…
永観堂道を東♪尊良親王墓♪
永観堂前から鹿ヶ谷通を北♪
冷泉通を東♪疎水に出て…
若王子橋渡って熊野若王子神社♪
哲学の道を北上して
(若王子橋から大豊橋まで)
大豊神社へ狛ねずみサンに会いに♪
(大豊橋から参道抜けて境内へ)
(拝殿から森に包まれた本殿へ)
(稲荷社&大国社♪狛ねずみを独占♪)
(愛宕社&日吉社♪狛蛇♪狛鳶♪狛猿)
再び哲学の道を北上して
(大豊橋~寺ノ前橋~櫻橋~法然院橋)
(法然院橋~西田幾多郎歌碑~銀閣寺橋)
懐かしい界隈を彷徨♪
(銀閣寺道から今出川通を西へ)
(白川通を北上♪北大路を西へ)
(高野橋に出て♪松ヶ崎を眺めて)
(川端通を南♪御蔭通を東♪東大路を南)
(旧今出川(柳)通を西♪出町柳駅前)
(河合橋♪出町橋♪西へ渡って♪河原町通を南下♪河原町今出川から東へ)
(賀茂大橋♪東へ渡って♪川遊びの景色)
鴨川の東岸をサイクリング♪
(賀茂大橋♪荒神橋♪)
(丸太町橋♪琵琶湖疎水の冷泉橋♪)
(二条大橋♪御池大橋♪)
(三条大橋♪)
(四条大橋♪)
ε= ε=




鴨川の河川敷から上陸して
四条大橋を渡って♪少しだけ西へ♪
木屋町四条♪

雲を映してるビルの手前を
左(南)へ…
きやまち どおり
木屋町通を南下♪

ε= ε=




木屋町(通)ゆうたら

この通に沿って流れる
高瀬川♪

あれ…?
於石橋の脇に

かいらしい石燈籠…
(*≧∀≦)σ♪
いつから置かはったんやろ…?
しかも前はこんなキレイちゃうかった気ぃする
ε= ε=




四条下がった木屋町(通)て、

三条~四条の間のゴチャゴチャしたカンジと違ごて♪

ちょっと落ちついたフンイキ♪
(*´∀`)♪

ε= ε=




仏光寺(通)の橋に来た♪

左(東)向いたら鴨川べりに出れる
仏光寺公園が有るんやけど…
目の前の高札が立ってるトコ♪

高瀬川におりれるよぉになってる♪
高札には…

高瀬川の四条~五条間の船廻し場と
流域の町名の由来
高瀬川は江戸時代初期、1614年に角倉了以・素庵父子によって、二条木屋町を起点とし、京都の中心部と伏見との物資を運搬するために開削された運河である。川幅は平均4間(約7.3m)と狭く、上がってきた船の方向転換ができないため、開削以来、船の待機や方向転換のための付属施設として『船入』が設けられ、その小規模なものが『船廻し』であった。
四条から上流には100m置きに船入があったが、四条~五条間では、船頭町、天満町、西橋詰町に船廻しが設けられ、下流の農村部からの農産物の揚場としても使用されていた。
角倉父子は高瀬川の水運を支えるため、船頭を募り、当初は備前島町(四条木屋町上る)に住まわせていたが、後に四条木屋町下る辺りに移して住まわせたことから、その地域を船頭町と呼ぶようになった。
他にも、水運で取扱う商品名を付けた材木町や、商品の移出入先の地名と思われる天満町、難波町といった町名もあり、京都の物流を支えた往時の高瀬川の様子がうかがえる。
京都市
・・・
地図で見たら、
こんなん♪

船廻しが有ったり船頭サンたちが住んではったてゆう船頭町は、
さっき通った於石橋の辺りやね♪
船廻しが有ったアト2つ
天満町は四条~五条の中間点辺り♪
西橋詰町は五条に近い辺り♪
他♪高札に町名が出てた、
難波町とか♪
商品名が付いた材木町は松原橋の南…
てゆうか、
木屋町(通)てゆう道の名前自体♪
材木扱う店がこの高瀬川の水運アテにして高瀬川沿いに集まったから付いたん♪
ε= ε=





サラに南下♪
高辻通に架かる
高辻橋から南向き♪

同じく北向き♪

この辺りの川沿いは
主に外国人向けのゲストハウスが多いん…
ε= ε=




松原橋も過ぎて、

ε= ε=




サラに南に走ると、

目につくんが
この建物♪

料理旅館の
つる せ
鶴清♪

ちょっとだけ
『千と千尋…』入ったカンジの建物♪
入口ノゾキこんでも

なんか♪そんなカンジちゃう!?
(*≧∀≦)b
鶴清の前通って、


その
お隣サンは…


京都で最初の児童公園♪
五条児童公園♪
(→ まもっぷ)
(→ 日本公園1000選)
(→ 京都風光)
なんか♪

紅い実ぃなってるねぇ♪

ソコの入口から
公園に入ろ♪

なんか♪
いわくアリゲな石がぎょおさん有るケド…
<(≧∀≦* ≡ *≧∀≦)ゝ
イチバン目だつんて、
やっぱりアレやな♪

旧五条大橋の橋脚やった石柱
3本セット♪

なんの説明も書いてへんケド…
(((^^;)
『津國御影』とか『天正拾七年』とか
彫られてて
『津國』は摂津国のコト♪
摂津国御影=今の神戸から運ばれてきた石材てわかるん♪
天正17(1589)年♪
豊臣秀吉が、自分が建てた方広寺へのルート確保しよ思て
五条大橋をもっと南(現在地)に移せ!!て
ムチャ言わはって
ボクがヤレゆうてるんやしヤルよね
(  ̄▽ ̄)ノ (^^;)天正の金正日…
ソノ通りに架けかえられたアト
後代流されたりして鴨川に沈んでたん
治水工事(川底掘削)で撤去されて
出てきた旧橋の残骸がコレ…
京都国立博物館の庭にも置かれてるん♪
(((^^;)
そんなんで
モトモト五条やったトコが松原通になって、
モトモト六条坊門小路やったトコ(現在地)が五条になったん…
なんでもアリやな…
(ーー;)
今の三条~四条間と、四条~五条、
五条~六条間の間隔がバラバラなん
実は豊臣秀吉のせい
犯人はオマエだ !!
(*≧∀≦)σ


チナミに●条坊門通てゆうんは、

(画像はヨソから拝借♪)
条坊制の都城で、
東西の通(条)と南北の通(坊)で区画された、
図の赤で囲んだ範囲の町も
坊てゆうんやけど、
ソノ坊を壁で囲んで
坊城ゆうて♪
ソノ坊城の各壁の中央の通(図の赤い田のカンジ)に門があって
坊門てゆうん♪
ホンマは、
平安京も京内ゼンブの坊を坊城にして
四方に坊門が造られるべきトコやけど、
日本は中国と違ごて外敵に攻められるコトもないから平安京の外周の羅城も一部しか造られへんかったし
坊城も坊門もゼンブ造らんと、
大内裏の下の二条以南の
中央の朱雀大路に面したトコだけ…
そやから
朱雀大路の東西各7つ14坊にだけ
14の坊門が造られたん♪
ソレと…
(五)条大路と(六)条大路で区画された南北の範囲を(六)条てゆうん♪
条とか坊とか、ややこしいよね… (((^^;)
ソレで、
六条の区画の坊門が有る通(小路)やから
六条坊門小路てゆうん♪
そやから
感覚的には
◆条坊門小路て聞いたら
●条と◆条の中間
てカンジ♪
…でも、
説明長なっちゃったね…
(≧∀≦*;)ゞ
→ もっと詳しく知りたい人はコチラ♪
(京都市 都市史のページ)
ググってこの坊門が説明できる資料見つけるんにヒト苦労…
(ーー;)
ネット辞書も、
坊門の説明が、
平安京の区画で、二条大路以南の各坊を東西に貫通する3本の小路のうち中央のもの
て…
周りとか

ソコらじゅうにある石たち

みんな
なんか部材っぽい…
( ´-ω-)ゞ
ケド説明も書いたん何もないん…
来た方(北)ふりむいて
(右手=東に橋脚3本セット)

ぐる~~~~っと左に見渡して…


西南の隅ッコにも
橋脚3本セット♪

祠の一部になってるケド♪
(((^^;)
公園を出て、

ふたたび南下♪
ε= ε=




アレが今の
五条大橋♪

ぐる~~っと右(西)に見渡して…



五条は国道やし、めっちゃ広い道♪
こんな拡張したら、だいぶいろんなん壊したやろなぁ… て思っちゃう
さぁ♪

五条を南に渡ろ♪
ε= ε=




Next♪
(σ≧▽≦)σ