旧街道を行く♪京と伏見を結ぶ道に残る橋♪後編♪追記【伏見街道♪十条~藤森♪第4橋と第1橋♪】 | 『エアで行く京都めぐり』大田垣晴延のblog♪

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気ぃ向いたら更新するね~♪

8月10日♪祝日(月曜日)♪



青すぎる空に誘われて、
サイクリングへ♪
音譜自転車音譜音譜



七条から♪
七条大橋を東へ渡って♪大和大路の1つ西の伏見街道(本町通)を南下…
自転車


旧い街道独特のフンイキが残る道♪


行くと♪

屋根の上に、
なんか有るねぇ…?

よぉ見たら、


人形屋サンの屋根に、

七福神♪

なんか♪
見つけたしエエコトありそぉ♪
(*´∀`)♪



途中、

救急車に出会ぉたりしながら…


気ぃついたら、
商店街!?  人増えた気ぃするねぇ…

道を横切る光の道♪


左手(東)に、

青すぎるくらいの空と♪
朱色の鳥居と♪


門前町のフンイキと♪

明らかにお店が増えた中を
南へと抜けてくと、


右手(西側)前方には駅♪

左手(東側)には、




記念写真ではしゃぐ人らと、

さっきより
明らかに大きい朱色の鳥居♪



でも、

青すぎる、今日の空には

ちょおどエエくらいの大きさかも♪
(*´∀`)♪


ところで♪
ゆうまでも有れへん思うケド…

いちお♪紹介♪

(*≧∀≦*)ノ♪(ノ´∀`*)




ココは♪
日本中すみずみにまで祀られる♪
キラキラ稲荷たちの総本社♪キラキラ

伏見稲荷大社

モトモト♪
平安遷都よりも前に山城盆地に住んでた
秦氏ゆかりの神社やね♪
平安京遷都自体♪渡来人びいきの桓武天皇が、秦氏の先進的な土木技術をアテにして遷都したっぽいケド♪


鳥居の右(南)脇には、

社号標♪


…と、
シャチホコ♪


…に見せかけて

あぶらげドロボー!?
(((^^;)
油揚げくわえてるみたいやけど…
ホンマはナニくわえたはるんやろ…?


その
すぐお向かいサンに、

JR稲荷駅

JRで、立地もめっちゃエエトコのに、

ちょっと不便な奈良線なん
と、
ごった返す観光客に対応するには小さ過ぎるキャパが
残念すぎる駅…
(((^^;)



ホンマは、
伏見稲荷見るツモリで来たんやけど…

もぉ夕方4時半やし
またにしよ…  
ガーン 自転車ガーン



もぉちょっと走って帰ろ♪自転車


線路沿いを南下♪


踏切を渡ったら、

踏切を左ナナメに南下する伏見街道と、
その右手(西)へ

橋の方へ続く道♪

ちょっと橋の方へ寄り道♪

ε=ε=(ノ≧∇≦)ノ


この橋♪

ススハキ橋ゆうて
大正14(1925)年に架けられた橋なんやて♪


で♪


この川は、
琵琶湖疎水(鴨東運河

平安神宮の大鳥居の前を流れて…

一部は鴨川に合流♪
一部は暗渠になって鴨川の東の地下を流れて、

ずっとアノ向こう(北)…

七条の1本南の塩小路通から再び地上に出てココまで流れて来たん♪


南の方は、

アノ向こう、

墨染の辺りまで流れてくん♪


空を映して♪涼しげやね♪
(*´∀`)♪









モト来た道を戻って、

踏切の前からリスタート♪


再び南下♪自転車


たま~~に、


町角に祠が有ったり、

旧街道に似合ぉたカンジの、

エエカンジの町家の建物が有ったり♪

龍谷大学 深草町家キャンパス

江戸時代末期(1861年)に建てられた町家を活用した建物なんやて♪

(→ 龍谷大学HP 町家キャンパス)


そのお向かい♪

左手(西側)に、こんな道標♪

『深草十二帝陵    東三町』やて…♪

深草十二帝陵てゆうんは、
名前の通り♪
ココ深草に眠る12人の天皇たちのお墓♪

鎌倉~南北朝~室町~織豊時代の間の、
持明院統(北朝)の歴代天皇が葬られたはるん♪

(実は行ってきたケド別blogで♪)


サラに南下して♪
また橋が有って…

伏水街道第四橋



今日♪走ったルート(赤線)♪♪

(今篇では十条・鳥羽街道辺りから)


伏見街道には昔4つの川が有って
ソレゾレ橋が架かってて、

ココが4本め♪




…1本めの橋、


実は、

地図に有る通り♪
伏水街道第1橋んトコ、
今日通ってたみたいなん…
(((^^;)



どぉも、

小さいお寺やし大して見るトコ有れへん思て
スルーしたお寺(寳樹寺)…

撮らんとスルーしたから、画像はヨソから拝借♪)

その東北角に、

こんな石碑が有ったんやて…
(((^^;)

撮らんとスルーしたから、画像はヨソから拝借♪)

(→ 京都市いしぶみデータベース)



この
寳樹寺てゆうお寺…


江戸時代の再興らしいんやけど、

平安の昔は♪
藤原忠平が建てた
(藤原忠平:基経の子で、菅原道真を失脚させた時平の弟♪道長の曾祖父)
法性寺がこの界隈に有ったらしくて♪

その広大な法性寺の寺域にあまた並んだ堂于の1つに
『橋詰堂』て有って、
ソレが衰退したアト改名して再興されたんが寳樹寺なんやて♪


百人一首知ったはる人やったら、
法性寺て名前で
『法性寺入道前関白太政大臣』コト
藤原忠通が浮かんだ人もいはるかもやけど…
(藤原忠通:忠実の子♪道長の玄孫の子=孫の孫の子♪弟・頼長と争い保元の乱の一因に)

つまり、
藤原摂関政治が確立した時代の創建で、
その終焉の時代まで
藤原摂関家のお寺としてココに在って

当然にお寺の方も藤原摂関家とともに隆盛を極めて広大な寺域やって
その法性寺境内に有った橋が現・寳樹寺の北に架かってて、
ソレで寳樹寺は『橋詰堂』て呼ばれてたんやね♪


そやから、
モトモトはお寺の橋やったんが
お寺が無くなって、

豊臣秀吉の時代に伏水街道が整備された時に伏水街道第1橋てされたんやね♪


カンジンの、
第2橋みたいな橋の柱の方♪

ソレは
一般の人は見れへんねやけど
橋の名前を継いだ学区や地域の学校(旧・一橋小学校)の校庭のカタスミに保存されて、
学校統合(→現・東山泉小中学校)されても受け継がれてるんやて…



(→ 伏水街道の4河川のレポート)


・・・
伏見街道

洛外♪
しかも洛中の人ほど行かはらへんトコやけど、
意外に史跡が多い道なん♪


もっと南に行ったら
藤森神社の前も通るし♪

サラに南下して墨染から墨染通を西へ♪
墨染寺の角で再び南下♪
撞木町の前通って京町までの道が
伏見街道の道のり♪



たしか北向き一方通行やった気ぃするし
車でのアプローチはイマイチ…

行かはるんやったら自転車でドーゾ♪
今はレンタサイクルかて有るし♪
(o^-')b !




Fin♪
((((*≧∀≦)ノ♪