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メディアisメッセージ

社会学者マルクハーンは述べました。

教育は何のためにあるのか、何のために受けるのか。


幼年期、児童期、青年期と通じて、「教育」とは「学校」であり「授業」であり「勉強」であった。


それは生活の一部としてごく当たり前にあるもので、あまりにも当たり前にあるので。


「教育とは」なんて考えもしなかった。


勉強の目的は「テスト」であり「受験」だった。


その背後には「親の目」があり、「教師の目」があり、「大人の目」があった。


「テスト」や「受験」をとりあえずやり過ごすことが先決で「教育とは」なんて考えやしなかった。




また、誰も教えてくれなかったのではないだろうか?


親は当然のこと、先生だって・・・


「どうして勉強が大切か、教育とは何か」


なんて教えてくれなかったのではないだろうか・・・。




教えてくれなかったのは教える必要がなかったからだろうか?


それとも教えることが出来なったのだろうか?




さてさて。



今の私ならこう応えよう。


「教育とは自身の生き方を全うするための原理原則を確立するためにある」



「原理原則」

簡単に言うと…


「自分らしく生きるための価値観」


だ。




私たちは生きていく中で様々な選択を迫られる。


「右に行くのか左に行くのかどっちだ」


と。



その決断を下すための最後のよりどころがここでいう「原理原則」だ。




もし、私が、もし貴方が。


今の状況に不満があるのならもう一度自分のなかの「原理原則」を見つめなおすときだ。


それは自身の内なる声との対話といっても良いのかもしれない。




もし、私が、もし貴方が。


今の状況に途方に暮れているならもう一度自分の「原理原則」を鍛えなおすときだ。


それが学びたいということだ。




教育者とは子どもの学びたいという気持ちを引き出し、学びたいという気持ちに応え、その子ども自身の原理原則を確立させてやることが出来る者のことだ。



もし教育者自身の原理原則を子どもに押し付け、子ども自身の原理原則を潰すのであれば、それはもう教育とは呼べない。




ネットが台頭してきて以来、紙媒体が苦戦しているという話をしばしば耳にするようになりました。


特に週刊誌系が大苦戦らしいが、新聞も例外ではないそうです。


新聞社もネットを紙媒体の対抗者とみるのではなく、補完者としてネットを活用する道を模索していますね。




そんななか、12月24日に52新聞社と共同通信社から提供を受けた国内外のニュースを随時配信していく「47NEWS 」が開設されました。


さっそくアクセスしてその使い勝手を試してみました。




コンテンツ自体はなかなか興味深いものあり、最初の印象は良かったのですが・・・。


だんだんと・・・。


疲れてきます。




その原因の一つは情報量の多さ。


多すぎて把握しきれない。


リンク・リンク・リンクでどんどん飛ばされ、欲しい情報にたどり着けない。


「リンク・リンク・リンク」はネットの良さでもあり、悪さでもあると思う。




もうひとつは全てが統一されたテキストで配信されていること。


紙媒体の場合、「位置」「見出し」「量」などで全ての記事が新聞社によって価値付けされ、私たちの手元に届きます。


ネットメディアの場合はこの価値付けが最低限度で落ち着いてるような気がします。


新聞社の「価値付け」を外すことは、先入観無しで読者が読め、判断できる。


それが長所だと思っていたのですが・・・。




これは余程自力のある人の場合のようですね。


私なんかの場合、等列に情報を並べるとどれが「読むべき記事」なのかの判断に困る。

(もちろん読みたいのを読めば良いのでしょうが・・・)


そして情報量の多さにも相まって結局どれも読まずに終わりました。




改めて紙媒体の「読ませる工夫」に感服したのですが・・・。


これはこれで怖いのでしょう。


情報の価値を判断するのはあくまでも読者であらなければならい。


と思うので。




「読むべき記事」を選び取る力。


それをたぶん「メディアリテラシー」と呼ぶのでしょうね。


その力を養うためにはどうすれば良いのか。


試行錯誤は続きます。

昨日はクリスマスでした。


以前のようにそれほどワクワクしないところに一抹の寂しさを感じます。




子どもの頃のクリスマスの楽しみは何と言ってもサンタからの「プレゼント」でした。


プレゼントを決めるために、おもちゃの広告チラシを一日中眺めていたものでした。


ふと今子どもだったら何をお願いするかなと考えてみました。


やはりアレでしょ。


任天堂の「Wii 」。


大人の私は「ゲーム脳」の真偽は脇においても、子どもに「ゲーム機」を与えることはあまり賛成ではないのですが・・・。


子どもがアレを欲しいと思うのはしごく当然でしょう。


アレは反則です。


大人さえもが欲しいと思うのに・・・。

アレは反則です。

任天堂は悪魔の手先かと思います。


今の世の中子どもにゲームをさせないというのは現実的な対応ではないでしょうね。

子どもがどうゲームと上手に付き合うか。

その環境を大人が整えてあげることが重要でしょう。

今朝の産経新聞朝刊に

「ゲームの影響 親次第」

という記事が掲載されていました。


内容はそれほど斬新なものではありません。

「家庭でのルールを決めて上手に楽しもう」

というものです。

ただそのなかで「ゲームリテラシー教育」というものが指摘されているのに興味を惹かれました。

「子どもにゲームに描かれていない背景、製作者の意図まで理解させ、子どもがゲームにコントロールされないように教えること」

とされます。

そこまでやるかと思います。

ドラゴンクエストをやりながら。

背後で親が

「今や倒されたモンスターの気持ちはどうだったかな?」

なんて言っている。

まったく楽しそうではないですね・・・。


やれやれ。。