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メディアisメッセージ

社会学者マルクハーンは述べました。

昨年の7月に姪が誕生しました。


しばしば実家に妹が姪をつれて遊び(避難?)に来ます。


この姪っ子。


なかなかの頑固者です。


母親(妹)の姿が少しでも見えないと・・・


泣く、泣く、泣く。


祖母(母)がどんなになだめすかそうと意に介しません。


泣き続けます。


しかし母親(妹)の顔を見つけると『けろっ』としています。


妹は・・・


「自分のことが何もできない・・・」


と苦笑い。




そんな悪戦苦闘ぶりを脇目に、わたしは


「あぁ、エリクソンの発達論でいう信頼対不信の時期なのだ」


「あぁ、ボウルビィのいう愛着の獲得をしているんだ」


と、勝手なことを考えてニヤニヤいますが・・・。




一方で考えるのが「児童虐待」の問題。


最近、「いじめ」の話題がクローズアップされ、脇に隠れた感があります。


それまでは、毎日のように報道されていました。



「確かに子育ては大変だよな・・・」



とは思います。




統計によれば、児童虐待で死亡する子どもの9割が3歳以下の乳幼児です。


虐待死が公になるたびに加害者ではなく、児童相談所の職員が頭を下げる姿がしばしばみられます。


(もっとも加害者の親は警察に連れていかれてますが)



「なぜもっと前に手を打てなかったのか・・・」



といつも憤りを感じますが、現場には現場の言い分があるのでしょう。




そんななか、今日の毎日新聞朝刊一面には、


『児童虐待防止 「親責任」盛り迅速救済』


という記事が載りました。



「親責任」・・・はて?


「虐待をした責任」をとれ!・・・ということでしょうか?



よくよく読んでみると逆でした(汗)。


「親責任」とは「子どもを養育する責任」でした。




「そんなの当然だろ。何を今更」と思うのですが・・・。


違うようです。




これまで虐待の早期発見、早期介入を阻んできたのはその「親」でした。


親が「親の権利」を主張して第三者の介入を拒むのです。


そして「親の権利」の背景には、民法の


「成年に達しない子は父母の親権に服す」(818条)


の規定があり、これが親の言い分に後ろ盾を与えるのだそうです。


つまりこの規定がある限り、児童相談所などの第三者機関は、虐待があろうと思われても、


そう簡単に親子関係に立ち入ることができないのだそうです。




う~ん。


さすが法治国家。


なんて感心している場合ではありません。




何よりも大切なのは「子どもの命」です。


親の親権ではありません。




今回の改正では「親責任」の概念を明確にすることによって、


その「親責任」を果たせていない親の親権を停止を容易になるといいます。




児童相談所での児童虐待に関する相談件数は、90年度には1101件。


その後右肩上がりを続け、05年度はその31倍に当たる3万4472件に達しています。





20世紀は「児童の世紀」として「子ども中心主義」の教育の必要性を訴えたのは、エレン・ケイでした。


21世紀はその世代の子どもが親となるとき。


教育は、教育者は虐待の加害者となる親に何を伝えることができたのでしょうか。。




正月早々、4日に引越しをしました。


それまで公団団地の5階に住んでいたのですが、少し手狭になってきたための決断でした。


新居は今流行り(?)のメゾネットタイプです♪


まぁそれは良いのですが。


・・・


・・・


驚いた。驚きました。


何に・・・。


「サカイ引越センター」の働きぶりに。


まさにプロ。


少し褒めすぎか・・・。


いやしかし。


・・・


・・・


我が家の引越しに当たって、難題が2つありました。


一つは狭くひたすら狭く5階まで続く階段。


そしてもう一つ私の宝物。


ドイツ製、総○○木(忘れました・・・汗)で作られた○十万円のソファー。


これがでかい。


軽くシングルベットの大きさはあります。


しかも分解は不可。


これが軟い。


爪で引っかいただけで傷がつきます。


搬入のときは軽く一時間かかりました。


・・・


果たして引越し屋は運べるのか!?


・・・


やりました彼らは。


「大丈夫っすよ」との軽い一声で。


軽快な動きで。(つられて私も引越しの間中駆け足でした・・・)


・・・


つくづくプロってすごいなぁと思いました。


はい。




さてさて。



第一次産業、第二次産業、第三次産業とあって、今の人たちの大半は第三次産業に就業していることだと思います。


第三次産業とはサービス業。


サービスを提供することを生業とする。


「あったら便利」を代替することでその対価を報酬として受け取るわけです。



しかしながら「あったら便利」はつまりは「無くても平気」なのですね。



引越しで言っても極端な話、自分の力で出来るのです。


そうすれば対価を払う必要は無くなります。


世の中にはそんなサービスが溢れ返っています。


そんな私もサービス業を生業としています。


私の提供するサービスは対価を得るに値するものなのか?


そんなことをふと考えています。



さてさて。



本日の各新聞には「安藤百福さん死去」のニュースが大きく取り上げれていました。


・・・


誰??(私だけ??)


・・・


この方「日清食品」の創業者で即席めん「チキンラーメン」の開発者でした・・・(汗)。


百福さんは終戦直後、ラーメンを求めて長い行列を作る人々を見て思ったそうです。



「人間は一杯のラーメンにあれほど執着できるものなのか。食があってこそ、人々は平和になれる。

もし家庭で簡単に作れるラーメンを発明したら、きっと喜ばれるはずだ」(産経新聞より)



「売れる」ではなく「喜ばれる」と述べるところが素晴らしい!!



確かに喜ばれています。


インスタントラーメンのない生活はもはや無理です。(でもないか・・・)


ご冥福をお祈りいたします。




同じ産経社会面には『教職大学院 実習で「技量」強化』の記事が。


文部科学省が教職大学院の設置基準をまとめたとのこと。


記事中には「プロ教師に再教育」との言葉が・・・。




学校の先生・・・


あなたのサービスは喜ばれていますか?


誰を喜ばせるためのサービスですか?


あなたは「プロ」ですか?




自戒も込めて。




「木から落ちて牛に突かれる」はスリランカの諺だそうです。


日本でいえば・・・


「泣きっ面に蜂」

「弱り目にたたり目」


となるそうで・・・。


世界中にこのような諺があると毎日新聞コラムで紹介されていました。


他には・・・


「目病みに唐辛子の粉」(朝鮮)


「哀れなマカールに松かさが雨あられ」(ロシア)


「乾いた木にはヤギもとびかかる」(ポーランド)



どれもあ痛たたです・・・。



「食パンを落とすと必ずバターのついてる方が下になる」はマーフィーの法則だそうで。



何の話かというと、安倍首相のお話です。


今日の全国紙のトップはどれも皆、「佐田行革相辞任」の文字が躍っていました。


なんでも「不正な会計処理があった」そうで。


最近元気のない安倍さんにはまさに「あ痛たた・・・」でしょうね。


「郵政造反組の復党問題」

「タウンミーティングのやらせ問題」

「本間税制調査会長辞任」



続く、続く・・・。


小泉前首相がえらく強運に思えてただけに、安倍首相には疫病神でもついているのかと思ってしまいます。



何紙は「論功行賞」の負の側面が出たと指摘されていました。


「自民党をぶっ壊す」と口に泡吹いて叫んでた小泉さんが懐かしくなるから不思議です。


小泉さんはあまり好きではなかったのですがね。




各紙が安倍首相の「任命責任」を問おておりました。


「責任を取れ」=「辞めろ」かと思えば・・・そう短絡的なものではないようです。


責任を感じて、今後は襟を正し、一国の首相としての役割をしっかりと果たせといった論調です。




そんなものか~・・・と遠い目で見そうになりましたが・・・いけないけいない。


彼ら政治家がその役割を全うに果たすためには、私たち国民一人ひとりがしっかりと監視の視線を注ぐことが大切だと各紙呼びかけます。


その通り・・・。




で・・・どこを見れば良いのでしょうか?



・・・


・・・


怒られるな・・・。



とりあえずは新聞をしっかり読んで、次の参院選にどこに投票すべきかを見極めたいと思います。




なんだか新聞社の手先みたいだ・・・。