塾の先生 | 未亡人ですから。

未亡人ですから。

2011年3月半ばに突然の未亡人に・・・。
未亡人にしかかけない笑いあり、涙ありの
ブログを配信しますので、
どうぞごひいきに~。

ひょんなことから、やまくらげを販売することになった未亡人。






やまくらげって知ってるかな?






コリコリカリカリポリポリ食感がクセになる!






やまくらげの絵をテキトーに描いたのをシールにしてもらったのだ😆

かわいいでしょ?



でも今日はやまくらげではなく、ある女性の話をしようと思う。



ずっと夏の間ブログから遠ざかっていた分、

今日のブログはめっちゃ長いぞ。。。




やまくらげとの出会いはかなり古い。


小学校5年生の夏、塾から新潟県に(確かそんな感じ)旅行に連れていってもらった。


その時のドライブインで試食品を食べ、とても気に入りお土産に買ったのが最初の出会いだ。


それ以来、田舎に行くとお土産屋さんを覗き、やまくらげがあれば購入していた。


当時は味付けしたものしかなかった気がする。



話を戻す。。。


観光バス貸切で50人くらいの子供を先生が一人で連れて行くのだ。笑笑

凄いバイタリティだな、、、。

あの頃先生っておいくつだったんだろうか。

50歳手前くらいかな。



先生は、結婚適齢期が戦時中だったので独り身だった。


見た目はアンネ・フランクに似ていた。

今思えば美人さんだが、当時の私には日本人離れした先生がちょっと怖かった。。。


中学受験の合格率がほぼ100%だったその塾は、

車で小一時間かけてくる生徒もいたほどの評判の良さだった。


通常の授業が終わると、お受験用のクラスがあり、30分休憩の間にお弁当を食べて、21時くらいまで勉強だ。


月曜日から土曜日まで毎日行ってた気がする。


そして私は出来が悪かったので、何人かと一緒に22時まで居残りだった。


日曜は、特別授業として朝の10時から夕方まで個人的に呼ばれていた時期もあった。😭



帰宅しても、宿題が山のようにあり、それをこなすだけの毎日だった。


学校の宿題はこの間、一度もやったことがない。


学校の先生は、そんな大変すぎる私を憐れみ黙認してくれていた。


だって、胃を患いバリウム飲む小学生ってなかなかじゃない?



授業中は毎日眠たくて、居眠りする日もあった。

本格的に寝たい時は保健室で寝ていた笑笑

自由すぎるな、、、。



塾の宿題が終わらない時は、学校の授業中に必死でやっていたほどだ。。。


今思うとかなりひどい小学校生活をしていたなぁと思う。



一生分の学習をした私は、中学時代から今日までお勉強というものをしていない笑笑



夏になるといつも思い出す事がある。


先生は、塾の入口に張り紙をするのだ。


「お中元は、麒麟の瓶ビール、蟹の缶詰以外受け取りません。」



そう。

先生の食事はほぼ毎晩、ビールとカニ缶のみだった。


たまに生徒を連れてお寿司屋さん、ステーキ屋さん、鰻屋さんに行っていた。

お店でもほとんど食べずに、私が食べるのを見ながらビールを飲んでいた。。。


塾の敷地内には小屋があり、猫が50匹いた。


昔は今のように便利な猫砂がなかったから、先生は毎朝5時起きで猫の砂洗いをしていた。


全ての猫を避妊手術させ、気の合う猫同士区切って飼っていた。


友達は猫だけと言っていた。


ほんと、変わった先生だったなぁ、、、。


厳しかったけれど、豪快でカッコいい先生だったなぁ。



そんな先生も天国へ旅立って5年くらい経ったかな、、、。



ここまで心に強烈に残る人ってあまり居ない気がするなぁ。



先生は私の心の中で生き続けている。。。