ひょんなことから、やまくらげを販売することになった未亡人。
やまくらげって知ってるかな?
コリコリカリカリポリポリ食感がクセになる!
やまくらげの絵をテキトーに描いたのをシールにしてもらったのだ😆
かわいいでしょ?
でも今日はやまくらげではなく、ある女性の話をしようと思う。
ずっと夏の間ブログから遠ざかっていた分、
今日のブログはめっちゃ長いぞ。。。
やまくらげとの出会いはかなり古い。
小学校5年生の夏、塾から新潟県に(確かそんな感じ)旅行に連れていってもらった。
その時のドライブインで試食品を食べ、とても気に入りお土産に買ったのが最初の出会いだ。
それ以来、田舎に行くとお土産屋さんを覗き、やまくらげがあれば購入していた。
当時は味付けしたものしかなかった気がする。
話を戻す。。。
観光バス貸切で50人くらいの子供を先生が一人で連れて行くのだ。笑笑
凄いバイタリティだな、、、。
あの頃先生っておいくつだったんだろうか。
50歳手前くらいかな。
先生は、結婚適齢期が戦時中だったので独り身だった。
見た目はアンネ・フランクに似ていた。
今思えば美人さんだが、当時の私には日本人離れした先生がちょっと怖かった。。。
中学受験の合格率がほぼ100%だったその塾は、
車で小一時間かけてくる生徒もいたほどの評判の良さだった。
通常の授業が終わると、お受験用のクラスがあり、30分休憩の間にお弁当を食べて、21時くらいまで勉強だ。
月曜日から土曜日まで毎日行ってた気がする。
そして私は出来が悪かったので、何人かと一緒に22時まで居残りだった。
日曜は、特別授業として朝の10時から夕方まで個人的に呼ばれていた時期もあった。😭
帰宅しても、宿題が山のようにあり、それをこなすだけの毎日だった。
学校の宿題はこの間、一度もやったことがない。
学校の先生は、そんな大変すぎる私を憐れみ黙認してくれていた。
だって、胃を患いバリウム飲む小学生ってなかなかじゃない?
授業中は毎日眠たくて、居眠りする日もあった。
本格的に寝たい時は保健室で寝ていた笑笑
自由すぎるな、、、。
塾の宿題が終わらない時は、学校の授業中に必死でやっていたほどだ。。。
今思うとかなりひどい小学校生活をしていたなぁと思う。
一生分の学習をした私は、中学時代から今日までお勉強というものをしていない笑笑
夏になるといつも思い出す事がある。
先生は、塾の入口に張り紙をするのだ。
「お中元は、麒麟の瓶ビール、蟹の缶詰以外受け取りません。」
そう。
先生の食事はほぼ毎晩、ビールとカニ缶のみだった。
たまに生徒を連れてお寿司屋さん、ステーキ屋さん、鰻屋さんに行っていた。
お店でもほとんど食べずに、私が食べるのを見ながらビールを飲んでいた。。。
塾の敷地内には小屋があり、猫が50匹いた。
昔は今のように便利な猫砂がなかったから、先生は毎朝5時起きで猫の砂洗いをしていた。
全ての猫を避妊手術させ、気の合う猫同士区切って飼っていた。
友達は猫だけと言っていた。
ほんと、変わった先生だったなぁ、、、。
厳しかったけれど、豪快でカッコいい先生だったなぁ。
そんな先生も天国へ旅立って5年くらい経ったかな、、、。
ここまで心に強烈に残る人ってあまり居ない気がするなぁ。
先生は私の心の中で生き続けている。。。