そう、白寿です(*≧∀≦)ゞ
年末に三途の川で、ごねて渡らずに帰ってきたおばあちゃん。。。
三途の川は渡らないけれど、来週水族館へのお出かけには行くらしい。
そこまで快復してるってマジ凄い(笑)
神様、どうかどうか三途の川にも鯱やイルカなんかを泳がせてあげてください。
なんてのはジョーダンですが、、、
当日はお祝いしてあげられないから週末に会ってきた。
部屋に入るなり、、、
「お菓子は?どんなの持ってきた⁈」
と、催促。。。
こわいよぉ。
美味しい苺と、お菓子をプレゼント。
苺、、、ガッついてました(笑)
他の入居者さんの事も配慮し、
みんな個々に逢いに行くだけで、白寿のお祝いもお部屋で簡単にって感じとなりました。
でも、沢山で逢いに行くより個別でパラパラと毎日誰かが来てくれる方が楽しいみたいだし、ゆっくり話もできるよね。
ふと帰りの車の中で思い出したコトがある。
中学生くらいの頃にはまって読んでた前原滋子さんの漫画。
タイトル忘れた。。。
あんなに好きだったのに忘れた。
四季くんってのが出てくるやつです。
その中で、ある詩が書かれていてね、いつもそれを読んではなんとも言えない気持ちになっていた。。。
それは、嫌な感じじゃなくて、どこか懐かしいような、随分昔の薄れた記憶を取り戻せるような気がする感覚だった。
その頃のわたしはまだ、死とは縁遠いじゃん。
でも、ヒトはいつか死ぬのではなく帰るんだ。って思えた。
では、その詩を紹介します。
まぁ、有名だから知ってるだろうけどね(笑)
「帰る旅」
帰れるから旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前の
しょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりする
この旅は自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ
お土産を買わなくてもいいか
埴輪や明器のような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も我が家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下で眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである
古人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く舟がえがくみなわを
人生とみた昔の詩人もいた
はかなさを彼らはかなしみながら
口に出して言う以上同時にそれを楽しんだに違いない
私もこういう死を書いて
はかない旅をたのしみたいのである
高見 順 「死の淵」より
私たちは旅をしているだけ。
この世という国で旅をしている。
この肉体は、レンタカーのようなもの。
そして、仲良しのお連れが、ただ先に帰っただけのこと。
みんないつかは向こうのお家に帰るのだ。
ただ、それだけのこと。
ただ、それだけのこと。