2月14日 | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


2月14日。



昨年から私にとって、この日はバレンタインデーだけじゃなくなりました。



あの瞬間は、今でも思い出すと胸が抉られるようで苦しくなりますが、



痛い事から解放されたんだ



あの時、悲しみと一緒にそう感じたんだった。



よくがんばったんだよ。



そう思うようにしていますし、そう思います。



今はどこで何してるかな?



歩けるようになって、走り回ってるかな。



そっちの世界というのがあるなら、たくさんのお友達と楽しく過ごせてるといいな。



そう願います。



ここ数ヶ月は、史織という娘が存在していたこと自体が不思議で夢のようで、



それだけ史織の居ない生活に慣れてきているのかと思うと、それもなんだか悲しくて…



だけど、思い出すと、正直悲しくて、会いたくなって、



何で史織はここにいないんだろう…ってなるから、



なるべく辛い時のことは思い出さないように、誤魔化しながら過ごしています。



思い出して涙する事も大切だと分かってるけど、思い出すと自分自身がやっぱり辛い時もあります。



だけど、だんだん記憶が薄れていくのも悲しくて怖くなります。



ここにある程度書き残していたので、読み返せばいいのですが、



今は辛くて過去に自分で書いた記事は読めません。



思い出したくなる時に読み返そう。



矛盾していますが、そんな気持ちです。



そして、お友達から可愛いお花の贈り物がありました。







史織の周りは大好きなお花に囲まれて、いい香りがします。



みんなの気持ちが伝わって、とっても嬉しいです。




こんな事はあってほしくないですが、



この先も小児がんや神経芽腫を患う子どもは出てくるだろうし、



この病気が無くなることはないだろうと思います。



だからそんな未来のどなたかが、この病気で困って、



このブログに辿り着いた時。



その頃には治療法も大きく変わってるかもしれないし、



もしかすると、神経芽腫が治る薬が開発されているかもしれないですが、



史織のしてきた治療が少しでも何か役に立って欲しい。



史織を助けられる事はできなかったけど、



史織がしてきた事や頑張りは、どなたかの勇気にも繋がるかもしれない。



そう願って、このブログも残しておこうと思います。



そして、私のように我が子を亡くすお母さん、お父さんがこの先も現れるかもしれません。



その時に、どんな気持ちで過ごしているかなって、



一人じゃないですよ。と、何か感じてもらえたらと思い、



これからも少しずつですが、子どもを亡くした親の気持ちとして、



書き続けていきたいと思っております。



偉そうに書いていますが、私も弱い一人の人間です。



周りの人たちや、ここの皆さんに励まされています。



本当にありがとうございます。



史織は永遠に可愛い可愛い姿のまま、



私の永遠の推しのアイドルでもあって、



私の永遠に大切な大切な愛おしい娘です。





そして、青い薔薇。



娘は、お花が好きでした。



紫陽花や薔薇を好む傾向があって、



青い薔薇のプリザーブドフラワーを作ってみたい。



と言っていました。(叶わずでしたが)



そして入院中、お友達とSwitchのどうぶつの森をしてよく遊んでいました。



そのどうぶつの森の中で育てられる青い薔薇は、植物の中でも一番価値があり、交配が難しいと言われていて、



お友達が3ヶ月かけて交配に成功させました。



それをお友達と一緒に喜んだ思い出のお花でもあります。


(左が娘、右がお友達)


なので、この日は青い薔薇の生花を供えてあげよう。



もうすぐ10歳だから歳の数の10本。



そう、決めていました。


絶対喜んでるだろうな。



だけど、本当なら喜んだ顔が見たかったな。



こんな顔して笑ってるかな。