初発の治療を終えた約半年後。
忘れもしない、3月2日。娘のお誕生日の前日。
突然、娘は呂律が回らなくなり、左半分に力が入らなくなり、様子がおかしくなりました。
救急車を呼び、病院へ搬送してもらい、
脳梗塞みたいな症状で、脳梗塞かな…なんて思ったりしていましたが、
その時に撮ったCTの画像には、脳に5センチほどの腫瘍がある事がわかりました。
再発。
絶望に落とされました。
脳。中枢神経からの再発。幸い骨髄からの再発はありませんでしたが、
中枢神経には、抗がん剤が行き届きにくく、
そこに転移がある子は世界中でも、誰1人として助かっていない。と知らされました。
まず、腫瘍を取るオペをし、放射線照射をしました。
開頭手術をすると、脳内の髄液の中に、小さな播種がある事もわかり、
髄液は、脳から脊髄まで繋がっているので、局所照射しても、
髄液に流れて、また違ったところから再発する可能性が高い。
と言われ、全脳と全脊髄に21グレイ。
腫瘍があった場所に追加で12グレイ照射しました。
これだけしても、再発する可能性は高いということ。
そして、いつか再発したら、名大病院へセカンドオピニオンを受けると決めていたので、
名大病院へセカンドオピニオンを受けました。
そこで、教授から、タイミングが良く、娘の病状にぴったりな治験を紹介してもらいました。
オンブルタマブという、中枢神経に的を当てた治療法で、
ちょうど、今、国際治験を行っていて、募集している。と。
治験先はアメリカでした。
そこで、治験に参加しない。という選択肢は私にはありませんでした。
そして、治験に向けて名大病院へ転院し、
治験まで数ヶ月日程があったので、
比較的、頭に効果があると言われている、IT(イリノテカン、テモダール)3コースを繋ぎで行ってから、渡米しました。
約4ヶ月の滞在で、無事にオンブルタマブの治験を完遂し、帰国しました。
帰国してからは、副作用である、血小板減少が2ヶ月続き、
輸血ばかりの入院生活は続きましたが、
小学校入学のタイミングで、無事に退院できたのでした。
その後は、レチノイン酸を半年、内服しました。
↑ここにも綴っていますが、
しおりちゃんが渡米してくれた事によって、日本でも治験薬の安全性が認められ、
日本でもこの治験が行えるようになり、
日本でも欧米とほぼ同時に承認されることが期待できます。
安全性を見る試験を日本人だけでやっていたら、
承認が5年くらいは遅れてしまうところなので、
日本の神経芽腫のこどもたちにとって、
ものすごく意味のあることになりそうです。
しおりちゃんが頑張ってアメリカまで行ってくれたお陰です。
ありがとう。
と、教授から連絡を頂いた時には、涙が溢れました。
心の底から嬉しく思ったのでした。
名古屋へ転院。
そして、ライリー子ども病院へ。
大阪、名古屋、アメリカと、色んな場所で頑張った再発治療でした。
つづく。