再発治療の振り返り | 神経芽腫の娘のこと

神経芽腫の娘のこと

2017年12月3歳9ヶ月、小児がん神経芽腫と診断され、再発を繰り返しながらも懸命に生きた証、治療や娘との大切な時間をどう過ごしたか、それからの事、子どもを亡くした母親の気持ちを綴っています。2023年2月14日永眠。アメンバー申請の際は自己紹介メッセージをお願いします


初発の治療を終えた約半年後。



忘れもしない、3月2日。娘のお誕生日の前日。



突然、娘は呂律が回らなくなり、左半分に力が入らなくなり、様子がおかしくなりました。



救急車を呼び、病院へ搬送してもらい、



脳梗塞みたいな症状で、脳梗塞かな…なんて思ったりしていましたが、



その時に撮ったCTの画像には、脳に5センチほどの腫瘍がある事がわかりました。



再発。



絶望に落とされました。



脳。中枢神経からの再発。幸い骨髄からの再発はありませんでしたが、



中枢神経には、抗がん剤が行き届きにくく、



そこに転移がある子は世界中でも、誰1人として助かっていない。と知らされました。



まず、腫瘍を取るオペをし、放射線照射をしました。



開頭手術をすると、脳内の髄液の中に、小さな播種がある事もわかり、



髄液は、脳から脊髄まで繋がっているので、局所照射しても、



髄液に流れて、また違ったところから再発する可能性が高い。



と言われ、全脳と全脊髄に21グレイ。



腫瘍があった場所に追加で12グレイ照射しました。



これだけしても、再発する可能性は高いということ。



そして、いつか再発したら、名大病院へセカンドオピニオンを受けると決めていたので、



名大病院へセカンドオピニオンを受けました。



そこで、教授から、タイミングが良く、娘の病状にぴったりな治験を紹介してもらいました。



オンブルタマブという、中枢神経に的を当てた治療法で、



ちょうど、今、国際治験を行っていて、募集している。と。



治験先はアメリカでした。



そこで、治験に参加しない。という選択肢は私にはありませんでした。



そして、治験に向けて名大病院へ転院し、



治験まで数ヶ月日程があったので、



比較的、頭に効果があると言われている、IT(イリノテカン、テモダール)3コースを繋ぎで行ってから、渡米しました。



約4ヶ月の滞在で、無事にオンブルタマブの治験を完遂し、帰国しました。



帰国してからは、副作用である、血小板減少が2ヶ月続き、



輸血ばかりの入院生活は続きましたが、



小学校入学のタイミングで、無事に退院できたのでした。



その後は、レチノイン酸を半年、内服しました。



↑ここにも綴っていますが、




しおりちゃんが渡米してくれた事によって、日本でも治験薬の安全性が認められ、




日本でもこの治験が行えるようになり、





日本でも欧米とほぼ同時に承認されることが期待できます。




安全性を見る試験を日本人だけでやっていたら、

 



承認が5年くらいは遅れてしまうところなので、




日本の神経芽腫のこどもたちにとって、




ものすごく意味のあることになりそうです。




しおりちゃんが頑張ってアメリカまで行ってくれたお陰です。




ありがとう。




と、教授から連絡を頂いた時には、涙が溢れました。




心の底から嬉しく思ったのでした。













名古屋へ転院。






そして、ライリー子ども病院へ。








大阪、名古屋、アメリカと、色んな場所で頑張った再発治療でした。



つづく。