ということで、
新大河ドラマ『功名が辻』
の13回目を見ました。
タイトル前の小話で、信長の改革が取り上げられていた。
半農民半武士という状態を止め、完全な武士として登用したとのこと。
これが信長の強さの秘密なのだろう。
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前回で信長包囲網が崩れ、浅井・朝倉は孤立。
織田軍は浅井軍を攻める直前。
長政の前にその父久政を攻め自害させる。
そんな中、秀吉(柄本あきら)が信長(舘ひろし)に
『侘びを入れ小谷の城を渡せば、長政とお市とその子たちを助ける』
とのことを提案。
つまりは、信長の部下になれということ。
長政(榎木孝明)の答えは、当然NO!!
でも、お市(大地真央)と3人の娘達を秀吉に託す。
「万福丸はワシが連れて行く。 信長殿に首を切られるならば我が手で道連れにしたい」
万福丸は嫡男として辛い運命が待っているようだ。
場面が変わって、お市と秀吉の会話。
いまいち説得力にかける会話なんだな~。
お市は、死ぬ死ぬと言っていたのに、ちょっとした会話で生き残ることを決断。
まあ、こんなところで時間を取られること自体苦痛だからOKだけど。
お市 「万福丸の命が・・・守れるなら」
で、結局万福丸は助かり、秀吉とお市達と一緒に城を出ることに。
すぐに信長は本丸攻めを開始。
そして、信長とお市が再会。
長政が死んだとの伝令を受けると、お市が倒れる。
お市 「私は浅井にとって疫病神のような女」
信長 「そんなことはない」
お市 「兄上、万福丸をお助けくださいませ」
この気色悪い兄妹愛はスルーの方向で(笑)。
そして、お市はまさしく疫病神だったと思う(笑)。
色々と織田軍に情報を流していたし、長政を女々しくしたのはまさにこの女。
そして、いずれは柴田の疫病神となってしまうのか?
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信長の万福丸を斬れとの命令。
そこで、秀吉と一豊(上川隆也)の会話は面白い。
一豊は殺せないと言い張る。
親方様の命令は絶対ではない。 と言い切る。
功名功名と言って敵陣に突っ走っていくのに、
何故に敵の大将の嫡男を殺せないのか!!
きれいごとを言う一豊にはっきりと言い張る秀吉。
何故にここまで一豊がかばうのかよく分からないが、
結局、一豊が万福丸を殺したのは意外だった。
場面が変わって、千代(仲間由紀恵)と一豊の会話から、信長が登場。
お市の内掛けを持って登城せよとのこと。
一豊 「はよういたせ、親方様は気が短い」
千代 「されど、私にお城づとめなど」
一豊 「逆らえば殺される」
千代 「えっー!!」
一豊 「まことじゃ」
千代 「折角、殿がお戻りになられましたに、つまりませぬ」
一豊 「たわけたことを言うとる場合か」
この空気の読めなさが千代の魅力なのですが、
さすがにこの場面は一豊と同じ気持ちになってしまった(笑)。
文句を言わず、さっさと支度しろよ!! って。
城勤めが終わって、一豊は千代に万福丸を殺したことを告白。
また、千代のヒステリックな反論があるのかと思ったけど、
千代は大人になったようだ。
現実派の秀吉の言葉に説得されてしまい、一豊はその方向性を見失う。
その一豊を後ろから支え、あくまで一豊を称える千代の言葉に感心。
やはり千代は大人になったようだ。
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秀吉が大名になり、『羽柴“筑前守”秀吉』に改名。
一豊も400石にアップ。 ついに土地持ちになったようだ。
千代とお市の会話がある。
お市に「お前が頼りじゃ」と言われ、真相を話す千代。
斬れと言った信長ではなく、秀吉を恨むお市。
場面が変わって、あの有名なシーンです。
浅井・朝倉の『杯』。
浅井長政・久政と朝倉義景のしゃれこうべ(頭蓋骨)。
このイベントをすることで、信長の非常識さ・・・というより恐怖を
植えつけるための重要な出来事。
秀吉が一番に高笑いをし飲み干したことで、
お市は秀吉をさらに嫌いになったようだ。
ただ、明智光秀(坂東三津五郎)だけは手を付けようとしない。
そのことが、信長の怒りをかうことに・・・。
この全ての行動に濃姫(和久井映見)が哀れみのような顔で見ていた。
もし彼女が実在する人物であったとしても、
子供のいなかった彼女がこの場面に座れるくらいの地位だったのだろうか?
今のところ、彼女の価値は明智光秀とのイベントだけだしね。
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場面が変わって、一豊の家臣団との会話。
この会話で、秀吉の直臣になったことが判明。
秀吉の城下に住むことに決定。
今回で、千代が大人となり、一豊を後ろから支えるというキャラに
変身したようだ。
ただ、大人になりすぎると影が薄くなるので、
そこら辺のバランスが物語的に難しくなるかも。
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濃姫
織田信長の正室で名は帰蝶(きちょう)とされる。濃姫という通称は「美濃出身の高貴な女性」という意味であり、結婚後のものである。斎藤道三と明智光継の娘小見の方の娘。明智光秀とは従兄妹同士という説がある。
天文18年(1548年)2月24日に政略結婚で信長に嫁いだが、二人の間に子供はなかった。その人物像は不明で信長に嫁いだ後の消息は、早死に説・離婚説など、諸説分かれている。
一説に、濃姫の生存を示すのではないかと考えられる史料として、信長が美濃を制圧した時期である永禄12年(1569年)の『言継卿記』に、「信長本妻」の記述がある。 また、『勢州軍記』には、信長の御台所である斉藤道三の娘に子供が生まれなかったため、側室が生んだ信忠を養子とした、などの記述も見られる。 その他、慶長17年(1612年)7月9日に78歳で逝去した「安土殿」が彼女だという説や、本能寺の変で薙刀を振るい戦死したというものもあるが、時代小説などで用いられている本能寺の変での死亡説の信憑性は低いと考えられる。
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次回は、秀吉の母と妹が登場。
さてさて、どうなることやら。
では、ここまで。